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伊達宗嵩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達宗嵩
時代 江戸時代後期
生誕 享和3年(1803年
死没 文政6年7月2日1824年7月27日
別名 靫負、宗嵩
主君 伊達斉宗斉義
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達宗隆
養子:義隆伊達宗賀子)
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伊達 宗嵩(だて むねたか)は、江戸時代後期の武士陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家9代当主。

生涯

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享和3年(1803年)、岩谷堂伊達家8代当主・伊達宗隆の子として生まれる。仙台藩10代藩主・伊達斉宗偏諱を受け靫負宗嵩と名乗った(「嵩」の字は、父と同名になるのを避けるため、岩谷堂伊達家(岩城氏)の通字である「隆」の使用を控えたものと考えられる)。

父・宗隆の隠居により、家督と知行5000余石を相続して岩谷堂邑主となるも、文政6年(1824年)7月2日、宗隆に先立って早世した。享年22。

家督は、亘理伊達家11代当主・伊達宗賀の子の義隆が養子となって相続した。

参考文献

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  • 『仙台人名大辞書』
先代
伊達宗隆
岩谷堂伊達家
第9代: -
次代
伊達義隆