伊藤範治
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伊藤 範治 | |
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生誕 |
1892年4月30日 日本 福井県 |
死没 | 1985年10月31日(93歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
伊藤 範治(いとう のりはる、1892年(明治25年)4月30日[1] - 1985年(昭和60年)10月31日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に福井県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1938年(昭和13年)5月30日に高射砲第16連隊長に就任し[2]、7月15日に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)8月に陸軍防空学校幹事に転じ[2]、1941年(昭和16年)7月に第2高射砲隊長に着任[2]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、11月9日に中部防空旅団長(中部軍[3][4])に着任[1]。1944年(昭和19年)4月27日に砲兵監部附となり[1]、8月22日に千葉陸軍高射学校長を経て[1]、1945年(昭和20年)4月1日に西部高射砲集団長に着任[1]。4月30日に陸軍中将に進級し[2]、5月5日に高射第4師団長に親補され[5]、福岡県筑紫で防空戦闘を指揮する中で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。