伊藤正文 (建築家)
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伊藤 正文(いとう まさぶみ、1896年3月23日 - 1980年12月3日)は、日本の建築家。旧制・大阪商科大学や大阪市立美術館などの作品で知られる。学位は、工学博士(早稲田大学・1939年)。
概要
[編集]大阪市建築課長として、学校施設・美術館などを多く手掛けた建築家。辰野片岡建築事務所を経て大阪市技師着任。退職後、大阪市立大学家政学部教授を務める。作品には、旧制・大阪商科大学昭和初期学者群、大阪市立美術館(実施設計監理)などがある[1]。
経歴
[編集]千葉県出身。早稻田大學高等豫科理工科を経て、1917年に早稻田大學大學部理工科建築学科を得業(現在の早稲田大学創造理工学部建築学科を卒業)、学業優秀賞を受賞。大阪市技手を経て、1919年に片岡建築事務所入所。1924年に大阪市土木部建築課に入る[2]。建築技師として大阪市の施設建設に当った。特に1934年の室戸台風では大阪市内にある木造校舎の多くが倒壊したため、RC造校舎での復興事業に従事した[3]。後に学位論文「小学校校舎の衛生に関する研究」をまとめている。
業務の傍ら、本野精吾、上野伊三郎らと日本インターナショナル建築会を結成した(1927年 - 1933年)。
1939年、43歳で大阪市を退職し、自営(伊藤正文建築事務所)。この頃、早稲田大学、神戸高等工業学校で講師を務める。戦時中は奈良に疎開。戦後は建築設備研究所長などを経て、1949年4月から1959年3月まで大阪市立大学家政学部教授を務めた[4]。
作品
[編集]著書
[編集]- 建築保健工学 第1部・第2部(工業図書、1938-39年)
- 国民学校(相模書房、1941年)
- 産業建築衛生(東洋書館、1944年)
- 学校建築小論(相模書房、1951年)
註釈
[編集]- ^ “伊藤正文 – 大阪文化財ナビ”. 2022年12月13日閲覧。
- ^ 堀勇良『近代日本建築人名総覧』(中央公論新社、2021年)、『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』(1938年), doi:10.11501/1207487。
- ^ 伊藤正文「大阪市小學校復興計畫上の諸問題」『建築雑誌』第632号、日本建築学会、1937年11月、1377-1388頁、ISSN 00038555、NAID 110003781185。 (要購読契約)
- ^ 堀勇良『近代日本建築人名総覧』、高杉酒造三郎『建築人国雑記』(日刊建設工業新聞社、1975年)p75。
- ^ 児島大輔「大阪市立美術館の設計思想」(PDF)『大阪市立美術館紀要』第19号、2019年3月、NDLJP:11718863。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「大学史資料室第24回展示 (2011年8月~2012年6月) : モダニズムの学舎と建築家・伊藤正文 : 大阪市立大学昭和初期学舎群」『大阪市立大学史紀要』第5号、大阪市立大学大学史資料室、2012年10月、127-132頁、doi:10.24544/ocu.20171208-035、ISSN 1884-3522、NAID 110009486671。