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伊藤正信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 正信
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県恵那郡東野村(現在の恵那市
生年月日 (1947-08-07) 1947年8月7日(77歳)
身長
体重
170 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト2位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 正信(いとう まさのぶ、1947年8月7日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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岐阜・中京高では、エース千藤和久の控え投手だった。3年次の1965年夏の甲子園予選三岐大会準決勝まで進むが、海星高に敗退し、甲子園出場を逸する。この試合では千藤をリリーフし登板。

高校卒業後は、社会人野球富士重工業へ進む。ここでも皆川康夫野崎恒男ら好投手が在籍し、控え投手にとどまる。1972年には、日立製作所の補強選手として都市対抗野球に出場[1]。しかし高田新次、佐藤博が投手陣の主軸となり、登板機会はなかった。

1972年、プロ野球ドラフト会議南海ホークスからドラフト2位指名を受け入団。

一軍公式戦出場のないまま、1974年限りで現役を引退。

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 29 (1973年 - 1974年)

脚注

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  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

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