伊藤修 (高知市長)
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伊藤 修(いとう おさむ、1852年2月21日(嘉永5年2月2日[1][2][3]) – 1925年(大正14年)6月17日[1][2][3])は、日本の政治家。高知市長。
経歴
[編集]土佐国高知城下で伊与木正猪の四男に生まれる[1][2]。その後、浦戸町(高知城下)の伊藤怡然の養子となる[1][2]。土佐郡朝倉村12ヶ村戸長になるが、1889年(明治22年)町村制の施行により、廃職となる[1]。同年、高知市の発足により、高知市会議員となる[1][2]。1891年(明治24年)高知市参事員、1893年(明治26年)土佐郡会議員となる[1]。1895年(明治28年)高知市議に復帰、翌年副議長となる[2]。1897年(明治30年)2月高知市会議長となるが、3月に高知市助役に就任[1]。高知市長一圓正興の元で務めた。1902年(明治35年)市長の一圓が退任。6月に高知市長に就任したが、病気のため9月に辞職[1][2]。わずか3ヶ月の在任だった。後任に前市長の一圓が復帰した。
このほか土佐郵船、高知汽船、帝国商船、土陽新聞の各取締役を務めた[1][2]。