伊東長昌
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄2年(1593年) |
死没 | 寛永17年9月18日(1640年11月1日) |
戒名 | 宝光院東山高天 |
墓所 | 高林寺(文京区向丘) |
官位 | 従五位下若狭守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 備中岡田藩主 |
氏族 | 伊東氏 |
父母 | 伊東長実、神子田正治娘 |
兄弟 | 長直、堀田盛正室、長昌、長重 |
妻 | 板倉勝重養女 |
子 | 長治、駿河某室、本堂栄親継室 |
伊東 長昌(いとう ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。備中国岡田藩2代藩主。伊東長実の次男。
生涯
[編集]幼少時から徳川家康の家臣として仕えたが、後に豊臣秀頼の家臣となる。大坂の陣では豊臣方として父と共に戦ったが敗れ、自害しようとしたが、家康の制止を受けて許され、以後は徳川氏の家臣となった。この処置は異例であり、スパイ的な活動を行っていたのではないかとも考えられている。
寛永17年(1640年)9月18日に死去した。享年48。跡を長男・長治が継いだ。