伊東祐賢 (三重県の政治家)
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伊東 祐賢(いとう すけかた、1836年5月11日(天保7年3月26日[1])- 1902年(明治35年)5月27日[2][3][4])は、幕末の津藩士、明治期の公吏・政治家。衆議院議員、三重県初代旧津市長。幼名・元太郎、謹衛[5]。号・松濠[5]。
経歴
[編集]伊勢国安濃郡津西堀端[1](現三重県[2]津市 [3][4])で、津藩士・第7代伊東弥右衛門祐尚の長男として生まれる[1][5]。藩校有造館で斎藤拙堂、土井聱牙に師事した[1][2][3][5]。1851年(嘉永4年)藩主藤堂高猷の小姓役となる[5]。有造館の句読師に抜擢された[1][5]。戊辰戦争では小隊長として出征し[1][5]、中隊令士に進んだ[5]。版籍奉還後、津藩大属に就任[1][5]。廃藩置県後、安濃津県庁(現三重県庁)に出仕し、三重県権中属、同警部、朝明郡長、安濃郡長などを歴任した[1][2][3][4][5]。
1885年(明治18年)三重県会議員に選出され、同常置委員、同副議長も務めた[1][2][3][4][5]。1889年(明治22年)市制施行により津市が発足すると初代市長に就任[1][5]。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(三重県第2区、大成会)で当選し[5][6]、第2回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4]。
また、私塾励精館を設立して館長となり[2][3][4][5]、関西鉄道創立委員も務めた[1][2][3][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(1890年7月)
- 第2回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1892年2月、独立倶楽部)当選[6]
- 第3回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1894年3月、同志倶楽部)次点落選[6]
- 第4回衆議院議員総選挙(1894年9月)
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第2編』920-921頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』42頁。
- ^ a b c d e f g h 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』31頁。
- ^ a b c d e f 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』26頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『三百藩家臣人名事典 5』10頁。
- ^ a b c d e f 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』24頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』84頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。
- ^ 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年、ゆ2頁。
参考文献
[編集]- 大久保利夫 『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第2編』 六法館、1890年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。22コマ
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 家臣人名事典編纂委員会『三百藩家臣人名事典 5』新人物往来社 1988年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。