コンテンツにスキップ

伊東祐賢 (三重県の政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊東 祐賢(いとう すけかた、1836年5月11日(天保7年3月26日[1])- 1902年明治35年)5月27日[2][3][4])は、幕末の津藩士、明治期の公吏・政治家衆議院議員三重県初代旧津市長。幼名・元太郎、謹衛[5]。号・松濠[5]

経歴

[編集]

伊勢国安濃郡津西堀端[1](現三重県[2]津市 [3][4])で、津藩士・第7代伊東弥右衛門祐尚の長男として生まれる[1][5]藩校有造館で斎藤拙堂土井聱牙に師事した[1][2][3][5]。1851年(嘉永4年)藩主藤堂高猷の小姓役となる[5]。有造館の句読師に抜擢された[1][5]戊辰戦争では小隊長として出征し[1][5]、中隊令士に進んだ[5]版籍奉還後、津藩大属に就任[1][5]廃藩置県後、安濃津県庁(現三重県庁)に出仕し、三重県権中属、同警部、朝明郡長、安濃郡長などを歴任した[1][2][3][4][5]

1885年(明治18年)三重県会議員に選出され、同常置委員、同副議長も務めた[1][2][3][4][5]。1889年(明治22年)市制施行により津市が発足すると初代市長に就任[1][5]。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(三重県第2区、大成会)で当選し[5][6]第2回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4]

また、私塾励精館を設立して館長となり[2][3][4][5]関西鉄道創立委員も務めた[1][2][3][5]

国政選挙歴

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第2編』920-921頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』42頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』31頁。
  4. ^ a b c d e f 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』26頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『三百藩家臣人名事典 5』10頁。
  6. ^ a b c d e f 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』24頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』84頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。
  9. ^ 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年、ゆ2頁。

参考文献

[編集]
  • 大久保利夫 『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第2編』 六法館、1890年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。22コマ
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 家臣人名事典編纂委員会『三百藩家臣人名事典 5』新人物往来社 1988年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。