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伊射奈岐神社 (天理市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊射奈岐神社
所在地 奈良県天理市柳本町1899
位置 北緯34度33分26.8秒 東経135度50分44.4秒 / 北緯34.557444度 東経135.845667度 / 34.557444; 135.845667 (伊射奈岐神社 (天理市))座標: 北緯34度33分26.8秒 東経135度50分44.4秒 / 北緯34.557444度 東経135.845667度 / 34.557444; 135.845667 (伊射奈岐神社 (天理市))
主祭神 伊邪那岐神
菅原道真
社格 式内社(小)・村社
本殿の様式 春日造
例祭 10月15日
地図
伊射奈岐神社の位置(奈良県内)
伊射奈岐神社
伊射奈岐神社
伊射奈岐神社 (奈良県)
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伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、奈良県天理市にある神社崇神天皇陵近くの大和天神山古墳に鎮座する。

歴史

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延喜式神名帳にある城上郡の伊射奈岐神社に比定される。楊本天神楊本天満宮と称し、かつては南東の山田垣内にあったといわれる。文明年間には現在地に鎮座し、楊本の総鎮守とされていた[1]寛正2年4月6日1461年5月24日)には興福寺大乗院主・尋尊が、天文22年2月28日1553年4月20日)には三条西公条が参詣している[2]。同24年8月29日1555年9月24日)には後奈良天皇綸旨を下し、8月だった神事を9月に定めるとともに、柳原淳光に皇室再興を祈らせた。江戸時代には柳本藩主織田氏の庇護を受け、柳本藩社と呼ばれた。

かつては神事は8月10日に行なわれ、3神楽料にあてられていた[3]。祭礼は簡素化されたが、明治初期までは束、束、柘榴束などと呼ぶ7種類の御供を作って渡御をする神事があり、元亀2年8月10日1571年9月9日)に作られた御供用の板木2枚が残っていた。板木はで、1枚は表に、裏にを、もう1枚にはが描かれる。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 『大乗院寺社雑事記』 文明17年9月26日1485年11月12日)条
  2. ^ 『大乗院寺社雑事記・吉野詣記』
  3. ^ 『三箇院家抄』

参考文献

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  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)