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伊吉古麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊吉古麻呂
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上上総守
主君 元明天皇元正天皇聖武天皇
氏族 伊吉連
父母 父:伊吉綱田(阿弥田)
宅麻呂
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伊吉 古麻呂(いき の こまろ)は、奈良時代貴族伊伎とも記される。。伊吉綱田(阿弥田)の子とする系図がある。官位従五位上下野守

経歴

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従八位下位階にあった慶雲4年(707年)5月に隔絶の地への使者として赴いたことを理由に、巨勢邑治賀茂吉備麻呂らと共に、文武天皇からあしぎぬ綿麻布およびを賜与された[1]。なお、巨勢邑治は大宝2年(702年)の第八次遣唐使にて副使として渡海し、この年の3月により帰国していることから[2]、古麻呂もこの遣唐使に同行したものと考えられる。

元明朝和銅6年(713年従五位下叙爵する。聖武朝天平元年(729年長屋王の変後に行われた叙位にて従五位上に、天平4年(732年下野守に叙任された。また、時期は不明ながら上総守も務めた。

懐風藻』に「五八の年を賀く宴」の題の漢詩作品(五言詩)が採録されている。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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「松尾社家系図」(『続群書類従』巻第181所収)による。

  • 父:伊吉綱田(阿弥田)
  • 母:不詳
  • 妻:不詳

また同系図では古麻呂から見て、壱伎韓国を伯父、伊吉博徳を大叔父とする。

脚注

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  1. ^ 続日本紀』慶雲4年5月15日条
  2. ^ 『続日本紀』慶雲4年3月2日条
  3. ^ 『懐風藻』

参考文献

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