伊号第百五十三潜水艦
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艦歴 | |
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計画 | 大正12年度艦艇補充計画 |
起工 | 1924年4月1日 |
進水 | 1925年8月5日 |
就役 | 1927年3月30日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
その後 | 1948年初頭 解体 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,635トン 常備:1,800トン 水中:2,300トン |
全長 | 100.58m |
全幅 | 7.98m |
吃水 | 4.83m |
機関 | ズルツァー式[1]3号ディーゼル2基2軸 水上:6,800馬力 水中:1,800馬力 |
速力 | 水上:20.0kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:10ktで10,000海里 水中:3ktで90海里 |
燃料 | 重油:241.8t |
乗員 | 63名 |
兵装 | 40口径十一年式12cm単装砲1門 留式7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首6門、艦尾2門 六年式魚雷16本 Kチューブ(水中聴音機) |
備考 | 安全潜航深度:60m |
伊号第百五十三潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第五十三潜水艦(初代)。
艦歴
[編集]- 1921年(大正10年)4月25日 - 第六十四潜水艦と命名[2]。当初は海軍大型五十一型の2番艦[3]として計画。
- 1923年(大正12年)6月15日 - 伊号型海大三型の1番艦に計画変更[4]。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 呉海軍工廠で起工。
- 11月1日 - 伊号第五十三潜水艦に改名。
- 1925年(大正14年)8月5日 - 進水
- 1927年(昭和2年)3月30日 - 竣工。第二艦隊第2潜水戦隊第17潜水隊に編入。
- 1928年(昭和3年)12月10日 - 呉鎮守府付属。
- 1935年(昭和10年)11月15日 - 第18潜水隊に編入[5]。
- 1936年(昭和11年)2月27日 - 大王崎灯台沖5海里の地点で伊56と接触事故[6]
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を伊五十三型に改正[7]。
- 1940年(昭和15年)10月11日、横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加[8]。
- 1941年(昭和16年)12月1日 - 第4潜水戦隊第18潜水隊に属し、三亜を出航。マレー作戦に参戦[9]。
- 1942年(昭和17年)2月27日 - バニュワンギ南西25浬地点付近で砲弾を積んでスラバヤからオーストラリアへ航行中の蘭タンカーベン2(BEN-2、913トン)を雷撃により撃沈[10]。
- 1944年(昭和19年)1月31日 - 予備艦となり潜水学校に繋留されて終戦を迎える[9]。
- 1948年(昭和23年)初頭 - 解体[11]。
撃沈総数2隻、撃沈トン数9,830トン。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』421-422頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」による。
艤装員長
[編集]- 高須三二郎 少佐:1926年8月20日 - 12月6日
艦長
[編集]- 高須三二郎 中佐:1926年12月6日 - 1927年12月1日
- 佐藤勉 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
- 平野六三 少佐:1928年12月10日 - 1930年12月1日
- 林清亮 少佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日
- 石崎昇 少佐:1931年12月1日 - 1932年11月15日
- 加藤与四郎 少佐:1932年11月15日 - 1934年11月15日
- 南里勝次 少佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
- 清水太郎 少佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 溝畠定一 少佐:1936年12月1日 - 1937年11月1日[12]
- (兼)楢原省吾 少佐:1937年11月1日 - 1937年12月1日
- 佐野孝夫 少佐:1937年12月1日 - 1938年3月19日[13]
- 宇野(中村)乙二 少佐:1938年3月19日 - 1938年7月30日[14]
- 安久栄太郎 少佐:1938年7月30日 - 1939年11月20日
- 入江達 少佐:1939年11月20日 - 1941年1月31日[15]
- 中村省三 少佐:1941年1月31日 -
- 井筒紋四郎 少佐:1942年5月23日 -
- 和田睦雄 大尉:1943年5月25日 -
- 井元正之 少佐:1943年6月25日 -
脚注
[編集]- ^ スイス・SULZER社。英語読みではスルザー。
- ^ 大正10年4月25日付 海軍内令 第152号。
- ^ 大正11年2月10日付 海軍内令 第46号。
- ^ 大正12年6月15日付 海軍内令 第232号。
- ^ a b 『艦長たちの軍艦史』422頁。
- ^ アジア歴史資料センターリファレンスコードC05035387200。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
- ^ a b c d e f 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』71頁。
- ^ a b 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』96頁。
- ^ 参考文献『日本海軍史』第7巻、354頁では、1946年5月に伊予灘で米軍により海没処分。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第85号 昭和12年11月1日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第152号 昭和13年3月19日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第218号 昭和13年7月30日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第587号 昭和16年1月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080300
関連項目
[編集]- 伊号第五十三潜水艦(二代)
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9