伊号第三百七十一潜水艦
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艦歴 | |
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計画 | 昭和18年度計画(改⑤計画) |
起工 | 1944年3月22日 |
進水 | 1944年7月21日 |
就役 | 1944年10月2日 |
その後 | 1945年3月12日亡失認定 |
除籍 | 1945年4月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準1,440t、常備1,779t 水中2,215t |
全長 | 73.50m |
全幅 | 8.90m |
吃水 | 4.76m |
機関 | 艦本式23号乙8型ディーゼル2基2軸 水上:1,850馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:13.0kt 水中:6.5kt |
航続距離 | 水上:10ktで5,000海里 水中:3ktで120海里 |
燃料 | 重油:282トン |
乗員 | 55名 |
兵装 | 40口径14cm単装砲1門 25mm単装機銃2挺 53cm魚雷発射管 艦首2門、魚雷2本 |
備考 | 安全潜航深度:75m 物資搭載量:艦内65トン、艦外20トン[1] |
伊号第三百七十一潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅういちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊三百六十一型潜水艦の11番艦。トラック、メレヨン島への輸送任務中に戦没。
艦歴
[編集]1942年の改⑤計画第5471号艦[2]。1944年3月22日、三菱重工業神戸造船所にて起工[2]。同年7月21日に進水[2]。10月2日、竣工[3]。佐世保鎮守府籍。同日、第十一潜水戦隊に編入[3]。
12月30日、横須賀を発し、トラックおよびメレヨンへの輸送任務に従事[5]。1945年1月18日にトラックに着き、弾薬、燃料および糧食を揚陸してメレヨンへ向かう[5]。1月25日にメレヨンに着き、種子用甘藷など糧秣50トンや弾薬、燃料を揚陸[6]。その後トラックに戻り、56名の便乗者を乗せて1月31日にトラックを離れ帰途に就いたが、以後消息不明となった[6]。喪失時の状況は明らかではない[6][注 1]。
3月12日、南洋方面で喪失と認定。84名全員戦死。
4月10日、除籍。
歴代艦長
[編集]艦長
[編集]- 上拾石康雄 大尉:1944年10月2日 - 1945年3月12日戦死認定[8]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2月24日、アメリカ潜水艦ラガート(USS Lagarto, SS-371)が北緯32度41分 東経132度36分 / 北緯32.683度 東経132.600度の沖の島近海で潜水艦と思しき艦船を発見し[7]、雷撃により撃沈した。この事からアメリカ側では、この艦船が伊371であろうとしている。しかし、実際にラガートが撃沈したのは2E型戦時標準船の辰桃丸(辰馬汽船、880トン)で、Roscoeなどいくつかのアメリカ側の記録では、伊371と辰桃丸が同時に撃沈されたかのような書き方になっている。
出典
[編集]参考文献
[編集]- (issuu) SS-371, USS LAGARTO. Historic Naval Ships Association
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
- 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第98巻 潜水艦史』朝雲新聞社
- 吉野泰貴『輸送潜水艦伊号第361型列伝 命を繋いだ12隻の航跡』大日本絵画、2020年、ISBN 978-4-499-23303-3