伊万里市立山代東小学校
表示
伊万里市立山代東小学校 | |
---|---|
北緯33度18分13秒 東経129度48分44秒 / 北緯33.30373度 東経129.81215度座標: 北緯33度18分13秒 東経129度48分44秒 / 北緯33.30373度 東経129.81215度 | |
過去の名称 |
佐賀県管下第六大学区第八中学区楠久小学校 公立中等楠久小学校 尋常楠久小学校 楠久尋常小学校 山代尋常高等小学校 西山代第一尋常高等小学校 山代第一尋常高等小学校 山代第一国民学校 山代町立東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 伊万里市 |
併合学校 | 久原尋常小学校 |
校訓 |
やる気 思いやり がまん |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B141220500112 |
所在地 | 〒849-4256 |
佐賀県伊万里市山代町久原65番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
伊万里市立山代東小学校(いまりしりつやましろひがししょうがっこう)は佐賀県伊万里市山代町久原にある市立の小学校。
概要
[編集]歴史
[編集]1873年(明治6年)に「楠久(くすく)小学校」として創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年(昭和29年)。2023年(令和5年)に創立150周年を迎える。
校訓
[編集]「やる気 思いやり がまん」
校章
[編集]山と波を組わせて図案化したものを背景にして中央に校名の略称「山東」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
[編集]1927年(昭和2年)制定。作詞は菊地楢吉、作曲は真島豹吉による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。
通学区域
[編集]住所表記で伊万里市の後に「楠久津(くすくつ)、楠久(くすく)、福川内(ふくがわち)、城(じょう)、峰、鳴石、久原一区、久原二区、久原三区」が続く地域[1]。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)8月 - 学制に基づき、松浦郡山代郷は「第六大学区、第八中学区、第十一小学区」に分けられる。
- 第十一小学区は更に里、脇野、長浜、久原、立岩、西分の6分校区に分けられた。
- 1873年(明治6年)[2]- 「佐賀県管下 第六大学区 第八中学区 楠久小学校」が創立。
- 1874年(明治7年)- 教室1棟を増築。学区制が発足。
- 1975年(明治8年)7月15日 - 久原村に「久原小学校」が設置される[3]。
- 1876年(明治9年)- 佐賀県のうち、松浦郡と杵島郡が長崎県に編入され、長崎県の学校となる。
- 1877年(明治10年)
- 11月 - 3分校(里・脇野・長浜)が分離・統合の上、精博小学校として独立[4]。
- この年 - 2分校(立岩・西分)が分離・統合の上、立岩小学校(本校と西分分校)として独立。
- 1879年(明治12年)- 教育令の施行により、高等科の教授を開始。
- 1883年(明治16年)5月 - 長崎県から旧佐賀県の地域が分離し、佐賀県として独立。再び佐賀県の学校となる。
- 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常楠久小学校」に改称。
- 1887年(明治20年)- 東西山代村組合立 高等楠久小学校が併置される。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、西山代村立の小学校となる。「楠久尋常小学校」に改称。
- 高等科(楠久高等小学校)の運営は東山代村山代町・西山代村共同での運営を継続。
- 1892年(明治25年)- 小学校令が改正される。東山代村と共同の高等小学校運営を解消。久原尋常小学校内に単級の高等科を併置する。
- 1893年(明治26年)- 楠久尋常小学校と久原尋常小学校を統合の上、高等科を併置し、「山代尋常高等小学校」に改称。
- 統合校舎完成までの間、楠久・久原両校舎の使用を継続。
- 1896年(明治29年)- 旧校舎を解体した用材を用いて大字峰長者浦に新校舎が完成。
- 1901年(明治34年)- 「西山代第一尋常高等小学校」に改称。
- 1902年(明治35年)- 木造新校舎が完成。
- 1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 1908年(明治41年)- 小学校令改正を受け、従来の高等科1年を尋常科5年に、高等科2年を尋常科6年に、高等科3年・4年を、(新)高等科1・2年とする。
- 1909年(明治42年)- 校舎を増築。
- 1920年(大正9年)- 運動場を拡張。校門を設置。
- 1927年(昭和2年)- 校歌を制定。
- 1929年(昭和4年)- 鉄道(国鉄伊万里線、現松浦鉄道西九州線)開通のため、西山代村大字久原字高田65に新校舎が完成し、移転を完了。
- 1936年(昭和11年)4月 - 西山代村が町制施行で山代町となる。これに伴い、「山代第一尋常高等小学校」に改称。
- 1937年(昭和12年)- 講堂と一般教室棟が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「山代第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「山代町立東小学校」に改組・改称。
- 1948年(昭和23年)- 中学校への校舎一部の貸与を終了。学校図書室を増築。
- 1949年(昭和24年)- 楠久炭坑開坑のため、この時から徐々に児童数・学級数が増加し始める。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、伊万里市が市制施行。これにより「伊万里市立山代東小学校」(現校名)に改称。
- 1955年(昭和30年)- 完全給食を開始。
- 1958年(昭和33年)- 児童数増により、木造2階建て6教室を増築。
- 1959年(昭和34年)- 校旗を制定。
- 1960年(昭和35年)- 児童数増により、木造2階建て6教室を増築。
- 1962年(昭和37年)- 久原炭坑の閉山[5]により、児童数が激減する。校舎一部を解体。
- 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎(6教室)が完成。学校前にバス停が新設される。
- 1966年(昭和41年)- 鉄筋コンクリート造校舎を増築。
- 1967年(昭和42年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1968年(昭和43年)
- 伊万里市西部地区学校給食センターの完成により、給食の自校調理方式を終了。
- 楠久炭坑の閉山により児童数が激減。
- 1970年(昭和45年)- プールが完成。交通公園を設置。
- 1972年(昭和47年)- 運動場を拡張。温室が完成。
- 1978年(昭和53年)- 体育館が完成。
- 1989年(平成元年)- 第二図書室が完成。
- 2004年(平成16年)- 新校舎、体育館が完成。
主な進学先
[編集]中学校区は伊万里市立山代中学校。
アクセス
[編集]最寄りの鉄道駅
[編集]最寄りのバス停留所
[編集]- 西肥自動車「山代東小学校前」バス停留所
最寄りの幹線道路
[編集]周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.383 - p.385