仲田定之助
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仲田 定之助(なかだ さだのすけ、1888年7月2日 - 1970年11月11日)は、日本の彫刻家、美術家、美術評論家である。
東京生まれ。錦城中学校中退後、実業界に入り高田商会に入社した。その後ドイツに留学、バウハウスを訪問し、帰国後1925年に、雑誌『みずゑ』に紹介記事(「国立バウハウス」)を書き、これが、日本における最初のバウハウスの本格的な紹介とされている[1]。留学中には、他の様々な芸術運動にも触れ、多くの文献を日本に持ち帰った。 「三科」の解散(1925年)を受けるような形で、1926年に、単位三科を結成(大浦周蔵、中原実らと)。
1924年のキュビスム風の彫刻(「首」、「女の首」)が、代表作である。
その後、戦後にかけて、美術評論活動等を行った。1970年「明治往来商売」で第17回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
主要展覧会
[編集]著書
[編集]- 資料
- 『仲田定之助 付・仲田定之助日記』五十殿利治・梅宮弘光編
- 「美術批評家著作選集 第18巻」ゆまに書房、2016
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 神奈川県立近代美術館鎌倉別館の展覧会紹介(彫刻の変容 近代から現代へ、2006年開催) 仲田定之助のキュビスム風の石膏作品「頭部」(1924年)の図版が掲載されている