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仙台市交通局モハ30形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙台市電気水道局電車事業所モハ30形電車
仙台市交通局モハ30形電車
基本情報
運用者 仙台市電気水道局電車事業所→仙台市電気水道局事業部電車課→仙台市電気水道局事業部交通課電車事業所→仙台市交通局
製造所 日本車輌製造東京支店
製造年 1934年 - 1935年
製造数 12両(31 - 42)
廃車 1968年
投入先 仙台市電
主要諸元
編成 2軸車(単車)
軌間 1,067mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 40人(着席18人)
車両重量 8.5 t
全長 7,924 mm
全幅 2,200 mm
全高 3,810 mm
床面高さ 800 mm
車体 半鋼製
台車 日車 S-12
車輪径 760 mm
固定軸距 2,134 mm
主電動機出力 18.7 kw
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 5.69(74:13)
出力 37.4 kw
定格速度 29.7 km/h
定格引張力 461 kg/h
制御方式 直接制御
制動装置 空気ブレーキ手ブレーキ発電ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5]に基づく。
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モハ30形(モハ30がた)は、かつて仙台市(仙台市電気水道局電車事業所、現:仙台市交通局)が運営していた路面電車仙台市電で使用されていた電車である[1][2][3][5]

概要・運用

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1926年11月25日に開通した仙台市電は、仙台市の市域拡大により路線網が拡大し続け、利用客も増加の一途を辿っていた。そこで、路面電車の需要増加に対応するために導入されたのが30形である。丸屋根を有する全長7,920 mmの2軸車で、台車には日本の路面電車車両で初めて回転部分全体にころ軸受が用いられた。車体は仙台市電の車両で初となる半鋼製となった一方、車内の座席配置は従来の木製車両と同様に全席ロングシートだった。製造当時の集電装置にはポールが用いられたが、1951年ビューゲルへの交換が実施された[1][2][6][7][5]

1934年に6両(31 - 36)、1935年に6両(37 - 42)が日本車輌製造東京支店で製造された。そのうち1935年製の6両は前面左側・前面窓上部にブレーキランプを兼ねた尾灯が設置されていたが、後に使用を休止し、1934年製の車両と同様に前面下部に尾灯が改めて設置された。またバンパーの形状も異なっていた[1][2]

以降は仙台市電の主力車両として各系統で使用されたが、老朽化の進行やボギー車の増備により1966年時点で大半の車両が廃車・もしくは休車状態となっていた。一部車両はそれ以降もラッシュ時用に在籍していたが、最終的に1968年までに全車両が廃車された。その後、31が市内の鉄道ファンの自宅に、39は仙台市内の善應寺境内に保存されたが双方とも後に解体され、残りの車両も廃止後の長町車庫や仙台市電保存館の保存車両に選ばれなかったため、2020年の時点で現存車両は存在しない[1][2][6][8][9][10]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e 宮松丈夫 2007, p. 10-11.
  2. ^ a b c d e 宮松丈夫 1976, p. 84.
  3. ^ a b 朝日新聞社「日本の路面電車諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、170-171頁。 
  4. ^ 宮松丈夫 2007, p. 46-47.
  5. ^ a b c 江本廣一; 和久田康雄 (2013-2-28). “仙台市交通局”. 路面電車の記憶 昭和20年代・30年代のアルバム. 彩流社. pp. 11-13. ISBN 978-4779117190 
  6. ^ a b 亀谷英輝 1966, p. 33.
  7. ^ 宮松丈夫 2007, p. 8-9.
  8. ^ 柏木璋一 1976, p. 82.
  9. ^ 仙台市交通局『昭和史とともに 仙台市電―その50年』宝文堂、仙台市、1976年5月10日。 
  10. ^ 仙台市電保存館”. 仙台市交通局. 2020年6月20日閲覧。

参考資料

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  • 宮松丈夫『仙台市電』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 90〉、2007年2月1日。ISBN 978-4-7770-5193-9 
  • 亀谷英輝「仙台市電の現況と当面の課題」『鉄道ファン』第6巻第5号、交友社、1966年5月1日、32-35頁。 
  • 柏木璋一「仙台市電ものがたり」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、78-82頁。 
  • 宮松丈夫「仙台市電思い出アルバム」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、83-86頁。