仏身
仏身 (ぶっしん、Skt:buddha-kaaya、बुद्ध काय)とは、仏の姿をいう。
成立
[編集]釈迦の入滅という現実は、弟子たちの間にいろいろの問題を提起したが、その中でも、仏の身体をどう考えるかということは、一つの大きな問題であった。すなわち、人格信仰の問題である。
釈迦在世中は、現前に悟りを開いた仏が生身として存在しているから、人々はこの仏に聞きそれに対処できた。弟子達はこの生身(なまみ)の釈迦に頼って生きていた。このような人々に対して、釈迦は在世中、しばしば「肉身をもった仏にたよってはならない」「仏は法をさとったものであるから、法こそ真実のよりどころである」と弟子たちをさとしていた。しかし、眼前に仏を見ている人々にとっては、理屈ぬきにして、その仏に頼ることは仕方のないことである。釈迦の入滅という事実は、大きな問題を弟子たちの間に惹きおこしたのである。
この入滅の事実を見て、弟子たちは在世中の釈迦の言葉「法をよりどころとせよ」を改めて考えることとなった。そこで、釈迦の教えた「法」を通じて釈迦自身(仏)をみようとした。「法」を通し、語られた教えの中に肉身の仏をみようとしたのである。そこでまずあらわれたのが、釈迦の生きておられた現実の身生身(しょうじん)に対して不滅の身である法身(ほっしん)が求められ、それが二身説としてあらわれた。この時、すでに「法身」が永遠不滅の身であり、現実の「生身」は人々を救うために人間に応えて現われた「応身」であると考えられた。
この場合、法身(dharma‐kaaya、धर्म काय)は宇宙的一般者とでもいいうるような「法」そのものを意味し、後には「理法身」といわれるようなもので、宇宙身としての道理そのもの、真理そのものであると考えられる。そのような法が具体的な活動態としてあらわれるのが応身(nirmaaNa-kaaya、निर्माण काय)であり、それは後に「化身」(けしん)ともいわれ、また「応化身」ともいわれ、法が具体的な姿で人々を救い導くために働く姿である。したがって、人間もしくは人間以外として、応化身の働きは広い領域で考えられた。
その後
[編集]後世、法身はまったく「理」として考えられる場面もあるが、本来は釈迦自身を法の中にみようとした弟子たちによって見られた仏であるから、そこには具体的な、もっと人格的なものが考えられた。それが後に「智法身」といわれるようになったと思われ、さらに単なる応化身ではなく、法身に即した応化身、応化身に即した法身として、仏の理想像をえがき、これを礼拝の対象として具象化しようとする時、そこに報身(ほうじん)という考え方があらわれる。
この報身は、その意味で思想的には、なかなか一定しなかった。これは、法身や応身のサンスクリット語は一定しているが、報身をあらわす原語が(niSyanda-buddha)(vipaaka-kaaya)(saMbhoga-kaaya)などと一定していないことでも分かる。漢訳の報身は「因願酬報」のゆえにといわれ、真如本然の働きと修行の働きとの和合によって現われるからとも説明されるが、原語「niSyanda-buddha」とは「かの如来は、福徳の因より出でたる結果なり」と説明されているから、福徳の行が原因となって自然にあらわされた結果としての仏である。その点「因願酬報」と相応すると思われる。
次に「vipaaka-kaaya」とは「成熟せる身」という意味であり、願行が完成して得られた身の意味である。
また「saMbhoga-kaaya」とは「受用される身」という意味で、人々がこの仏の身体を受用して成仏するという意味である。このような意味で報身という考えかたの中に、やがてそれを具体的に彫刻し絵にしようとして、三十二相八十種好などの仏の相貌がととのえられてきたと思われる。
このように、二身説は三身説となった。さらに、法身に理、智を区別し、理智不二の法身と解釈され、この法身を法そのものの意味で「自性身」(じしょうしん)と呼んだ。また「報身」に自受用、他受用の二身を区別し、応身と化身を区別し、また応化身とするなど種々の説となり、四身説・五身説・六身説が現れる。