今村七平
今村 七平(いまむら しちへい、1863年2月7日(文久2年12月19日[1][2][3])- 1940年(昭和15年)1月23日[2][4])は、明治から昭和前期の実業家、地主、政治家。衆議院議員、福井県南条郡南日野村長。
経歴
[編集]越前国南条郡脇本村[2](福井県[4]南条郡南日野村脇本[2][5]、南条村脇本、南条町脇本[2][6]を経て現南越前町)で、大地主・今村正武の長男として生れる[3][注釈 1]。漢学を修めた[4]。1883年(明治16年)12月に家督を相続[3]。自由民権運動に加わった[7]。
1904年(明治37年)1月、福井県会議員の同志、竹尾茂、吉田円助、大橋松二郎らと北日本新聞社(現在の北日本新聞とは異なる)を設立し社長に就任[2][4][5][6]。1913年(大正2年)福井新聞社と合併して株式会社に改組し専務取締役となる[2][4][5][6][7]。衆議院議員在任中は吉田が社長となるが、1921(大正10年)12月に吉田が死去すると社長に就任した[2]。その他、福井農工銀行取締役、第九十一銀行取締役頭取、南越鉄道(現福井鉄道)重役などを務めた[2][3][5][6][7]。
政界では、1889年(明治22年)1月、福井県会議員に選出され、通算7年7ヵ月在任し、同常置委員、同参事会員も務めた[2][3][4][5][6][7]。また、南条郡会議員、同議長も務め[4][5][6][7]、南日野村長も1895年(明治28年)5月、1910年(明治43年)12月に二度就任した[2][6]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙で福井県郡部から無所属で出馬して初当選[2][7][8]。 1917年(大正6年)4月の第13回総選挙では憲政会所属で出馬して再選され[2][9]、衆議院議員に連続2期在任した[4][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 今村家は旧家、大地主で、当主は七平を襲名した。『福井県議会史 議員名鑑』255頁。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、19頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『福井県議会史 議員名鑑』255-257頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い114頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』78頁。
- ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』58頁。
- ^ a b c d e f g 『福井県大百科事典』70頁。
- ^ a b c d e f 『現代日本の政治家』公友倶楽部1-2頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』64頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』92頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。