京都府立莵道高等学校
京都府立莵道高等学校 | |
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北緯34度54分35.8秒 東経135度48分58.2秒 / 北緯34.909944度 東経135.816167度座標: 北緯34度54分35.8秒 東経135度48分58.2秒 / 北緯34.909944度 東経135.816167度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都府 |
学区 | 山城通学圏 |
校訓 | さとく(聡く)・さやかに(清かに)・たくましく(逞しく)[1] |
設立年月日 | 1985年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D126210000417 |
高校コード | 26154J |
所在地 | 〒611-0011 |
京都府宇治市五ケ庄五雲峰4-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都府立莵道高等学校(きょうとふりつ とどうこうとうがっこう、英語表記:Kyoto Prefectural Todoh Senior High School)は、京都府宇治市五ケ庄五雲峰にある府立高等学校。1985年(昭和60年)4月1日に開校した。
設置学科
[編集]沿革
[編集]1989年まで続くと予想された中学校卒業者数の急増を背景に[3]、その傾向が最も顕著で高校進学率も低かった宇治市内で高校の増設が検討された[4]。山城地域では1983年に開校した西城陽高校と南八幡高校に続く新設校で、宇治市内の府立高校としては4校目(大久保地区の進学先となっていた久御山高校も含めると、実質的に5校目)。用地は五ケ庄の高台が選ばれた。
校名の選定にあたっては北宇治、五ケ庄などの候補が出されたが、由緒ある「菟道」(古来は「うじ」と読んだ)の地名や日本書紀に登場する皇族・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)にちなんで「莵道高校」に決定した[5][6]。
莵道高校は1985年に始まった新高校入試制度(類型制度と定員の一部で5~6校の学校選択を認める通学圏の導入が主な柱)に則り、開校当初から普通科第Ⅰ類と第II類(人文系、理数系)を設置[7][8]。
新制度は画一的な小学区制(1学区1校制度)を廃止して各校に標準コースのⅠ類(希望枠5%)、学力伸長コースのII類(同30%)を設けるというものであり、生徒の能力・適性に合った教育課程を目指した[9]。特にII類は7時限目授業の「莵道活動」(莵活)や夏休み中の「莵道合宿」(4泊5日の学習合宿)を必修化するなど、大学進学を前面に押し出したのが特徴である[10]。また部活動もアーチェリー部やボクシング部を創設し、他校との差別化を意識した。このうちボクシング部は京都府の公立高校では初の創部であり、創設当時は私立高校を含めても南京都高等学校(現・京都廣学館高等学校)に次いで2例目であった。
その後II類の希望枠が100%に拡大(学校単位で出願する単独選抜に移行)したこともあり[11]、莵道高校は山城北通学圏(宇治市、久御山町)で最も進学実績の良い府立高校として認知されていくことになる[12]。
2004年からは山城北通学圏と山城南通学圏(城陽市、八幡市、京田辺市、綴喜郡、相楽郡。当時木津川市は未設置)が統合されてI類の総合選抜(類単位で決めた合格者を居住地によって各高校に振り分ける制度[13])が廃止されたことにより、類型・居住地に関わらず通学圏全体から受験生が集まることになった[14][15]。
2011年には山城通学圏で類型制度が廃止され[16]、莵道高校独自の教育課程となっている。
年表
[編集]- 1984年
- 1985年
- 4月1日 - 開校。
- 4月9日 - 第1回入学式を挙行。
- 6月18日 - 竣工式を挙行。
- 1987年
- 12月3日 - 校歌を制定。
- 1988年
- 2月27日 - 第1回卒業式を挙行。
- 1993年
- 3月29日 - グラウンド改修完了に伴う竣工式を挙行。
- 1994年
- 10月5日 - 創立10周年記念式典を挙行。
- 1999年
- 10月5日 - 創立15周年記念式典を挙行。
- 2004年
- 4月 - 学区の統合により、山城北通学圏から山城通学圏へと変更[19]。単独選抜を導入。
- 10月5日 - 創立20周年記念式典を挙行。
- 2009年
- 10月21日 - 創立25周年記念式典を挙行。
- 2011年
- 4月 - 類型制度を廃止[16]。
- 2012年
- 4月 - 新制服を導入[20]。
- 2014年
- 10月4日 - 創立30周年記念式典を挙行。
部活動
[編集]75%の生徒が何らかの部活動に所属している[2]。
- 運動部
- 文化部
主な行事
[編集]- 6月:校外学習(1、2年生)
- 9月:莵道祭 - 各学年ごとに小劇場や仮装・パフォーマンス、演劇を2日間かけて行う[21]。
- 9月:体育大会 - 個人競技や団体競技が行われる[22]。
- 11月:勤労体験学習(1、2年生)
- 1月:百人一首大会(1年生)
- 2月:耐寒マラソン(1、2年生) - 山城総合運動公園内の周回コースを13km走る毎年恒例の行事[23]。
独自の活動
[編集]その他
[編集]- テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』に登場する北宇治高校は、本校がモデルである(東宇治高校も同じようにモデル校)[24]。2018年10月には原作者の武田綾乃が同校を訪問した[25]。
- 2015年10月12日に放送されたちちんぷいぷいの「学校に行こッ!」というコーナーで、アーチェリー部やホームルームの様子が取り上げられた[6]。
交通アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ “教育方針”. 京都府立莵道高等学校. 2015年10月13日閲覧。
- ^ a b 大阪進研『高校受験ガイドブック2018 私立・公立受験用(関西版)』2017年、p.560
- ^ 『府の高校急増急減対策協 メンバーは8人 16日に初会合』1983年3月1日付京都新聞3面
- ^ 『用地取得は公社で 60年度開校の府立2校 府教委方針』1983年9月15日付京都新聞3面
- ^ 『とまどう「莵道(とどう)」宇治市内の新高校名』1984年9月14日付京都新聞夕刊14面
- ^ a b “"たむけん来校"TV収録 (府立莵道高校)”. 城南新報 (2015年9月30日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ 『選択の自由 諸刃の剣学校間格差 どう描くのか京の新高校像』1983年4月26日付京都新聞20面
- ^ 『具体的運用がカギ 府高校教育制度の答申 対応迫られる中学校現場』1983年12月25日付京都新聞
- ^ 『数校で通学圏設定 三原則見直し近く中間答申「特色ある学校」も強調』1983年9月15日付京都新聞26面
- ^ 『新高校事情 京の制度改革から2 フィーバー学力向上へ一直線』1985年6月12日付京都新聞18面
- ^ 『特集 高校進路指導現場の困惑 事例1京都市立堀川高等学校 二兎を追いながら自立する18歳を育む』カレッジマネジメント155号(2009年3-4月)、p.23
- ^ “高校はどこへ 第1部 山城通学圏の3年 定員割れ 志望1位求め危機感”. 京都新聞 (2007年4月26日). 2017年10月6日閲覧。
- ^ “社説 総合選抜廃止 「15の春」泣かさぬには”. 京都新聞 (2012年9月28日). 2017年6月29日閲覧。
- ^ “高校はどこへ 第1部 山城通学圏の3年 序列化 単独選抜が生む格差”. 京都新聞 (2007年4月25日). 2017年10月6日閲覧。
- ^ “高校はどこへ 第1部 山城通学圏の3年 公立の役割 多様な生徒どう対応”. 京都新聞 (2007年4月25日). 2017年10月6日閲覧。
- ^ a b “田辺(自動車科)2・3倍 一般選抜の志願状況(府立高校)”. 城南新報 (2013年2月28日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ 『来春開校の2高校 開設準備室を設置』1984年8月1日付京都新聞3面
- ^ 『府立莵道高校と商業高校 校章と制服決まる』1985年1月5日付京都新聞19面
- ^ 『各地の府立高校でも入学式 週5日制の余波 始業式と同日開催も増える』洛南タイムス、2004年4月9日
- ^ “思い出の制服ともお別れ 創立30年の来年度に一新 莵道高卒業式”. 城南新報 (2014年3月1日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ “学び舎 あふれる個性 地元高に文化祭シーズン到来 (莵道高)”. 城南新報 (2015年9月3日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ “声援後押し「体育大会」 (府立莵道高校)”. 城南新報 (2015年9月17日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ “太陽が丘で耐寒マラソン 距離の達成感味わう (莵道高校)”. 城南新報 (2017年2月17日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ “聖地巡礼アニメの懸け橋 響け!ユーフォニアム 宇治舞台”. 城南新報 (2015年7月5日). 2017年7月13日閲覧。
- ^ “「響け!」作者、吹部生と交流/武田綾乃さん 莵道高訪問”. 洛タイ新報 (2018年10月26日). 2018年11月6日閲覧。
- ^ “アクセス”. 京都府立莵道高等学校. 2015年10月13日閲覧。