京都市電出町線
出町線 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 京都市 |
路線網 | 京都市電 |
起点 | 寺町丸太町 |
終点 | 出町(出町橋西詰[1][2]) |
開業 | 1901年(明治34年)3月11日 |
廃止 | 1924年(大正13年)10月1日 |
運営者 | 京都市交通局 |
路線諸元 | |
路線距離 | 1.640 km [3] |
軌間 | 1,067 mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 直流600V 架空電車線方式 |
出町線[注釈 1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出町線(でまちせん)は、京都市の南北の通りである寺町通などに敷設されていた狭軌電気軌道路線。別名寺町線(てらまちせん)[1]。 京都電気鉄道(京電)が中立売線と出町(出町橋西詰)を結ぶ路線として1901年(明治34年)に建設した。1918年(大正7年)に京都市に買収され京都市電出町線となり、河原町線の敷設に伴い1924年(大正13年)に廃止された。
概要
[編集]1895年(明治28年)2月1日に、日本で最初となる営業用電気鉄道を東洞院通東塩小路踏切南側[4](京都駅) - 下油掛[5]間で走らせた京都電気鉄道は、同年4月1日には京都駅から木屋町通・二条通を経て第4回内国勧業博覧会のメイン会場(現在の平安神宮・岡崎公園)に至る路線(木屋町線・鴨東線)と、同路線から木屋町二条で西に分岐し、二条通・寺町通・丸太町通を経て丸太町富小路に至る路線を開通させた[6]。 その後、木屋町二条から分岐し丸太町富小路に至る路線(中立売線)は西に延伸し、同1895年中には丸太町通・烏丸通・下立売通・堀川通(東堀川通)を経て堀川中立売に達した。
この中立売線の寺町丸太町から寺町通を北進し、今出川通を東に進んで、後に河原町通となる街路を北進、出町橋西詰(公称町名では「青龍町」)に至っていた[7]のが出町線である。
出町線は、軌間1067mm(いわゆる「狭軌」)、600V直流電化の単線路線であり、1901年(明治34年)3月11日に営業を開始した[8]。途中の電停は丸太町広小路、丸太町今出川が置かれた[8][9]。
その後、1918年(大正7年)7月1日に、京都電気鉄道が京都市に買収され京都市電の出町線となった。その後、今出川通以北の区間が休止となり、寺町今出川から河原町今出川の区間の今出川線と、河原町線の敷設に伴い1924年(大正13年)10月1日に廃止された[10]。ただし、河原町線が今出川通以北に路線を延ばしたのは、太平洋戦争後の1956年のことである。京都市電河原町線は1977年(昭和52年)に七条河原町以北の大部分が廃止され、残った区間も1年後の京都市電全廃時に廃止となった。
沿革
[編集]- 1901年(明治34年)3月11日 寺町丸太町 - 寺町今出川 - 河原町今出川 - 出町[注釈 2]間が開業し、全線開業[11]。
- 1918年(大正7年)7月1日 京都市が京都電気鉄道を買収。出町橋西詰 - 寺町丸太町間に第11号系統が設定される[12]。
- 1924年(大正13年)
電停一覧
[編集]別名
[編集]出町線を含む路線の別名は、次のとおり。
- 寺町線
- 寺町丸太町から出町橋西詰(出町)まで(1.019哩[1]≒1.640km[3])。寺町通上の寺町二条あるいは寺町丸太町から寺町今出川までの区間をいうこともある。寺町今出川までの区間をいう場合、寺町今出川から出町までの区間を出町線ということもある。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 里程は、『日本鉄道旅行地図帳』9号「関西2」 (2009), p. 35, 「出町線」による。
- ^ 現在の出町橋西詰に位置する。これを「青竜町」(当該地の公称町名)とする資料[11]もみられる。
出典
[編集]- ^ a b c 松岡 (1930), pp. 1–2, 「(イ)京電線」
- ^ 松岡 (1930), p. 3, 「(ニ)軌隔拡張・(ホ)新線開通」
- ^ a b c 『京都市営電気事業沿革史』 (1933), p. 1079, 「13 大正13年10月1日」
- ^ “HU037 我国に於ける電気鉄道事業発祥の地”. 2024年5月26日閲覧。(京都のいしぶみデータベース)
- ^ “SI003 電気鉄道事業発祥地”. 2024年5月26日閲覧。(京都のいしぶみデータベース)
- ^ 『日本鉄道旅行地図帳』9号「関西2」 (2009), p. 34, 「中立売線」
- ^ 1:20,000地形図「京都北部」 (1912)
- ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳』9号「関西2」 (2009), p. 35, 「出町線」
- ^ 大正御即位記念地図 (1915), 「東北部」
- ^ a b 『さよなら京都市電』 (1978), pp. 214–217, 「年表」
- ^ a b 『さよなら京都市電』 (1978), p. 199, 「路線図 狭軌路線開廃年月日」
- ^ 『京都市営電気事業沿革史』 (1933), p. 1078, 「11 大正7年7月1日」
- ^ 『軌道事業略史』 (1952), p. 27, 「京都電気鉄道株式会社買収線」
参考文献
[編集]- 松岡慎吾『市電の使命』「市電の使命」発行所、1930年。doi:10.11501/1189370。
- 『京都市營電氣事業沿革誌』京都市電氣局、京都、1933年。doi:10.11501/1258700。
- 京都市交通局総務部庶務課 編『軌道事業略史』京都市交通局総務部、1952年。doi:10.11501/2530773。
- 『さよなら京都市電』京都市交通局、1978年。
- 今尾恵介 監修『日本鉄道旅行地図帳』 9号「関西2」、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。