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京極駅

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京極駅
きょうごく
Kyōgoku
所在地 北海道虻田郡京極町字京極
北緯42度52分0秒 東経140度52分50秒 / 北緯42.86667度 東経140.88056度 / 42.86667; 140.88056座標: 北緯42度52分0秒 東経140度52分50秒 / 北緯42.86667度 東経140.88056度 / 42.86667; 140.88056
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
電報略号 ケフ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1919年大正8年)11月15日[1]
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日[2]
乗入路線 2 路線
所属路線 胆振線
キロ程 69.6 km(伊達紋別起点)
東京極 (1.2 km)
(3.0 km) 北岡
所属路線 胆振線(脇方支線)
キロ程 0.0 km(京極起点)
(7.1 km) 脇方
備考 胆振線廃線に伴い廃駅[1]
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1976年の京極駅と周囲約750m範囲。左上が倶知安方面。右下の上は廃線となって軌道跡が残る支線の脇方方面。右下の下が本線の伊達紋別方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

京極駅(きょうごくえき)は、北海道後志支庁虻田郡京極町字京極にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である[1]電報略号ケフ事務管理コードは▲131913[3]

1980年(昭和55年)9月まで運行されていた急行いぶり」の停車駅であった。また、1970年(昭和45年)まで脇方駅に至る支線の接続駅でもあった。

歴史

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年表

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駅名の由来

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1895年(明治28年)12月、旧丸亀藩京極家子爵京極高徳によって、現在の脇方川沿いのワッカタサップと呼ばれていた土地に「京極農場」が開かれた。この農場を中心に周辺に沢山の開拓農場が開かれて、「東倶知安」と通称されるようになり、市街を形成するようになった。その後、1910年(明治43年)に倶知安村からの分村の際にこの市街地名から村名は東倶知安村となった[7]

その9年後の1919年(大正8年)に当地まで鉄道が開通することとなったが、駅は東俱知安市街から離れた京極農場の敷地が提供されて設置されることとなり「京極駅」と命名されることとなった[8][9][10]

このことに対して一部の村民から「村長と京極農場管理人の専横である」との強烈な反対運動が起こったが[11]、その後京極農場が解放されると、当駅の存在などを理由に京極村へ改称されることとなった[12]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面・島式ホーム1面と3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[13]。互いのホームは、駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南東側を結んだ構内踏切で連絡した[13]。駅舎側ホーム(西側)が下りの1番線、島式ホーム(東側)駅舎側が上りの2番線、外側が3番線(但し1983年(昭和58年)時点では側線扱い)となっていた[13]。そのほか、1番線の倶知安方から分岐し駅舎横までの行き止まりの側線を1線有していた[13]

脇方支線は駅の南方で分岐していた。

業務委託駅となっており、駅舎は構内の南西側に位置し単式ホームに接していた[13]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は254人[13]

駅周辺

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駅跡

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2001年平成13年)時点では、当駅の跡地は農協の貯蔵施設の敷地となっており[15]2010年(平成22年)時点でも同様であった[16]

また2001年(平成13年)時点では当駅跡から倶知安方に行った所にトンネルの石積みの坑口がコンクリートで封鎖されながらも残存しており[15]、2010年(平成22年)時点[16]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[17]。このトンネルの名は「ガル川隧道」であった[17]

隣の駅

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日本国有鉄道
胆振線
東京極駅 - 京極駅 - 北岡駅
胆振線(脇方支線)
京極駅 - 脇方駅

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 京極町史編纂委員会 1977, p. 824.
  5. ^ 京極町史編纂委員会 1977, p. 823.
  6. ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日) 
  7. ^ 『京極町史』 (1977), p. 167.
  8. ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、26-27頁。NDLJP:1029473 
  9. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、26頁。ASIN B000J9RBUY 
  10. ^ 『京極町史』 (1977), p. 202.
  11. ^ 京極町史 p200-203
  12. ^ 『京極町史』 (1977), pp. 357–358.
  13. ^ a b c d e f g h 宮脇俊三原田勝正(共編)『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館1983年。p.94
  14. ^ a b c d 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年、p.6
  15. ^ a b 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシング<JTBキャンブックス>、2001年、pp.68-70
  16. ^ a b 今尾恵介(編著)『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年、pp.152-154
  17. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社2011年、p.204

参考文献

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関連項目

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