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亘理胤元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達胤元/亘理胤元
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 安政4年(1857年
死没 明治15年(1882年8月1日
改名 鉉太郎(幼名)、伊達胤元、亘理胤元
別名 安芸、元太郎
墓所 宮城県遠田郡涌谷町見龍寺
主君 伊達慶邦
陸奥仙台藩
氏族 亘理氏(涌谷伊達家)
父母 伊達邦隆石川宗光娘・文子
兄弟 胤元、千保、厚、喜保、栄、郁
胤正
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亘理 胤元(わたり たねもと)は、江戸時代末期の陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家13代(亘理氏31代)当主。元は伊達 胤元(だて たねもと)を名乗った。

生涯

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安政4年(1857年)、伊達邦隆の子として誕生。慶応3年(1868年)3月、邦隆の急死により12歳で家督を相続し、涌谷邑主となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争には、叔父・亘理隆教が陣代として涌谷伊達家の兵を率いて出陣した。戊辰戦争の敗戦により仙台本藩が4分の1に知行を減封され、胤元も代々治めた涌谷領を没収される。明治維新後は、伊達から本姓の亘理に改めた。

明治2年(1869年)、新政府に北海道開拓を申請、空知郡の支配を許される。旧臣と共に北海道移住を志すも、在地で帰農を希望する者も多く挫折した。

明治15年(1882年)8月1日、死去した。享年26。嗣子の胤正は、アメリカに留学して農業を学び、大正4年(1915年)には衆議院議員となる。

出典

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  • 『仙台人名大辞書』

関連項目

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先代
伊達邦隆
涌谷伊達(亘理)家
13代:1868年 - 1868年
次代
亘理胤正