井上清治
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井上 清治(いのうえ せいじ[1] / きよはる[要出典]、1844年11月5日(弘化元年9月25日[2][3])- 1913年(大正2年)1月12日[2][1])は、明治から大正初期の大地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。号・松龍[2]、勲四等[要出典]。
経歴
[編集]越中国婦負郡御門村(富山県婦負郡速星村、婦中町を経て現富山市婦中町速星)で、井上清六の二男として生まれ、豪農の井上家26代・井上清治の養子となり、家督を相続して清治を襲名し27代当主となる[2][3][4]。
1884年(明治17年)婦負郡中名村ほか37ヵ村戸長に就任し、以後、同郡学務委員、速星村会議員、婦負郡会議員などを務めた[1]。
1903年(明治36年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、同年5月5日[5][6]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[1][2]。
農事の改良などに尽力し、第四十七国立銀行取締役、第四十七銀行取締役、富山北陸生命保険監査役、日本赤十字社有功特別社員などを務めた[1][2][3][4]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 藤田天民編『中越明覧』遠藤新聞舗、1905年。