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五条寛子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

五条 寛子(ごじょう ひろこ、1718年4月19日享保3年3月19日) - ?)は、中御門天皇掌侍。父は権大納言五条為範[1]菅原寛子とも呼ばれる。おまち御料人、別当典侍と称した。幼名は幸子。

生涯

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権大納言五条為範の子として生まれる。1734年享保19年)に中御門天皇の後宮に入り、おまち御料人、別当典侍と称した[2]

1736年(享保21年)には遵仁法親王を生み、翌年の1737年元文2年)に出家[2]。没年はわかっていない[2]

脚注

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  1. ^ 五条家(半家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
  2. ^ a b c 「日本人名大辞典」(講談社