五月ヶ丘古墳
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五月ヶ丘古墳 | |
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石室・陶棺(復元) | |
別名 | 五月ケ丘古墳 |
所在地 |
大阪府池田市五月丘1丁目 (五月丘緑地内) |
位置 | 北緯34度49分23.90秒 東経135度26分9.85秒 / 北緯34.8233056度 東経135.4360694度座標: 北緯34度49分23.90秒 東経135度26分9.85秒 / 北緯34.8233056度 東経135.4360694度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径8m |
埋葬施設 | 無袖式横穴式石室(内部に陶棺) |
出土品 | 須恵器 |
築造時期 | 7世紀代 |
史跡 | 池田市指定史跡「五月ヶ丘古墳及び出土遺物」 |
地図 |
五月ヶ丘古墳(さつきがおかこふん、五月ケ丘古墳)は、大阪府池田市五月丘にある古墳。形状は円墳。池田市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]大阪府北部、猪名川東岸の五月山丘陵南麓の尾根上に築造された古墳である[1]。これまでに墳丘は大きく削平を受けているほか、1973・1979年(昭和48・54年)に発掘調査が実施されている[2]。
墳形は円形で、直径約8メートルを測る[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長は3.5メートルを測り、石室内には長さ2メートルの陶棺が据えられる。築造時期は古墳時代終末期の7世紀代と推定される[3][1]。被葬者は明らかでないが、秦氏一族(中間階層)とする説が挙げられている[3][4]。
古墳域は1980年(昭和55年)に池田市指定史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
[編集]- 1955年(昭和30年)、古墳として発見[6]。
- 1973年(昭和48年)、確認調査(大阪府教育委員会)[2][6]。
- 1979年(昭和54年)、池田市立歴史民俗資料館建設に伴う再調査、復元整備(池田市教育委員会、1980年に報告書刊行)[2][6]。
- 1980年(昭和55年)3月24日、池田市指定史跡に指定[5]。
出土品
[編集]石室内からの出土品は次の通り[1]。
これらの出土品は、現在では池田市立歴史民俗資料館で保管されている。
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石室俯瞰図
-
須恵器 坏身
池田市立歴史民俗資料館展示。
文化財
[編集]池田市指定文化財
[編集]- 史跡
- 五月ヶ丘古墳及び出土遺物 - 1980年(昭和55年)3月24日指定[5]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 古墳時代の猪名川流域 2010.
- ^ a b c 五月ヶ丘古墳 1980.
- ^ a b 新修池田市史 第1巻 1997.
- ^ 史跡説明板。
- ^ a b c 大阪府内指定文化財一覧表(大阪府ホームページ、平成30年11月21日更新版)の池田市ファイルより。
- ^ a b c d 五月ケ丘古墳(古墳) 1989.
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(池田市教育委員会、2001年設置)
- 地方自治体発行
- 『五月ヶ丘古墳(池田市文化財調査報告 第3輯)』池田市教育委員会、1980年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『新修池田市史 第1巻(地理・考古・古代・中世編)』池田市、1997年。
- 『古墳時代の猪名川流域 -猪名川流域に投影された畿内政権の動静-(池田市立歴史民俗資料館平成22年度特別展)』池田市立歴史民俗資料館、2010年。
- 事典類
- 高島徹「五月ケ丘古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『池田市史 史料編 第1(原始・古代・中世)』池田市、1967年。
関連項目
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、五月ヶ丘古墳に関するカテゴリがあります。