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五明村 (愛媛県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ごみょうむら
五明村
廃止日 1955年5月1日
廃止理由 編入合併
松山市、湯山村伊台村五明村久米村松山市
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,281
国勢調査1950年
五明村役場
所在地 愛媛県温泉郡五明村
座標 北緯33度54分09秒 東経132度48分57秒 / 北緯33.90261度 東経132.81572度 / 33.90261; 132.81572 (五明村)座標: 北緯33度54分09秒 東経132度48分57秒 / 北緯33.90261度 東経132.81572度 / 33.90261; 132.81572 (五明村)
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五明村(ごみょうむら)は愛媛県風早郡のちに温泉郡に所属したである。1955年(昭和30年)に松山市に編入し自治体としては消滅した。地名としての「五名」は松山市立五名小学校などとして残っている。

地理

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高縄半島の南西部に位置する。松山市街から北の比較的なだらかな高原地帯であり、松山市の一部となってから後ではあるが1962年(昭和37年)に五名牧場が開設されている。現在では野外活動センターやゴルフ場なども立地している。

地域内を菅沢川、五明川、柳谷川などが流れ、やがて南東の石手川と合流する。いずれも小規模河川で、河川沿いにわずかに水田が開けていた。梅木、上総の集落は先に列挙した河川とは別の小規模河川流域であるが、いずれも石手川に合流する。

村名の由来

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当地一帯は古くは五名郷と呼ばれていた。

社会

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  • 旧村がそのまま8つの大字となった。
菅沢(すげさわ)、神次郎(じんじろう)、城山(じょうざん)、柳谷(やないだに)、恩地(おんじ)、小屋(こや)、梅木(うめき)、上総(かずさ)
時期は不明であるが上総町は2024年度現在は日浦小学校の校区となっている[1]
  • 役場は大字菅沢に設置
  • 人口
1904年(明治37年) 272戸、1440人
1921年(大正10年) 215戸、1229人

沿革

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  • 1889年明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、菅沢村、神次郎村、城山村、柳谷村、恩地村、小屋村、梅木村、上総村が合併して風早郡五明村が発足。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡を温泉郡に変更。
  • 1915年大正04年) - 役場庁舎を菅沢大字大家に新築移転[2]
  • 1930年昭和05年)12月 - 松山市街地から神次郎までの県道開通[3]
  • 1940年(昭和15年)12月 - 五明郵便局開局[3]
  • 1948年(昭和23年) - 五明村農業協同組合設立[3]。役場仮事務所が農協事務所内に移転[2]
  • 1949年(昭和24年)12月 - 松山-神次郎間に定期バス運行開始[3]
  • 1951年(昭和26年)5月3日 - 五明公民館新築落成[4]
  • 1955年(昭和30年)5月1日 - 松山市に編入。同日五明村廃止。近隣の湯山村、伊台村や久米村との同時の編入。

教育

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  • 五明村立五明中学校(閉村時) → 松山市立五明小学校として現存[5]
  • 五明村立五明小学校(閉村時) → 松山市立となってからも存続していたが、1990年(平成2年)に近隣の伊台中学校と統合し松山市立旭中学校となる[6]
  • 五明村立五明幼稚園(閉村時) → 松山市立五明幼稚園として現存[7]

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ 松山市の校区区分による、なお松山市では校区は一部弾力化している。2024年4月閲覧
  2. ^ a b 『地誌 五明の里 改訂版』 38頁
  3. ^ a b c d 『地誌 五明の里 改訂版』 178頁
  4. ^ 『地誌 五明の里 改訂版』 46頁
  5. ^ 松山市立五明小学校-学校公式サイト-
  6. ^ ホーム | 松山市立旭中学校
  7. ^ 五明幼稚園

参考文献

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  • 「五明の里」編集委員会 『地誌 五明の里 改訂版』 五明地区まちづくり協議会、2021年(初版1986年)
  • 『角川日本地名大辞典389愛媛県』

関連項目

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