五島市立富江小学校
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五島市立富江小学校 | |
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北緯32度36分49秒 東経128度45分55秒 / 北緯32.613583度 東経128.765278度座標: 北緯32度36分49秒 東経128度45分55秒 / 北緯32.613583度 東経128.765278度 | |
過去の名称 |
第五大学区第五中学区富江小学校 富江学区公立中等富江小学校 岐宿学区公立中等富江小学校 尋常富江小学校 富江尋常小学校 富江尋常高等小学校 富江町第一国民学校 富江町立第一小学校 富江町立富江小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
公立中等富江小学校狩立分校 富江女児尋常高等小学校 富江町立富江小学校繁敷分校 富江町立長峰小学校(分校化) 富江町立富江小学校黒島分校 富江町立田尾小学校(分校化) 富江町立富江小学校山崎分校 富江町立富江小学校岳分校 富江町立富江小学校長峰分校 五島市立富江小学校田尾分校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002204 |
所在地 | 〒853-0201 |
長崎県五島市富江町富江111番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立富江小学校(ごとうしりつ とみえしょうがっこう)は、長崎県五島市富江町富江にある公立小学校。略称は「富小」(とみしょう)。
概要
[編集]- 校章
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- 中央に校名の「富小」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 作詞は市瀬正生、作曲は山口健作による。歌詞は3番まで。
沿革
[編集]- 前史(藩校)
- 1688年(元禄元年)- 富江藩第2代藩主 五島兵部盛朗(もりあき)、歓農方(陣屋内)に藩校「成章館」(せいしょうかん)を設立。士卒の子弟を入学させる。
- 1803年(享和3年)- 富江藩第6代藩主 五島伊賀守運龍(ゆきたつ)、成章館を富江郷100-4・7・9・10に移転拡張し、当時文武で有名なものを召して藩士を教育させる。
- 1840年(天保11年)- 富江藩第7代藩主 五島讃岐守盛貫(もりつら)、成章館の規模を拡大し、自ら教鞭をとる。
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県に福江県に属することとなる。間もなく福江県は長崎県に統合される。これにより藩校が廃止される。
- 1872年(明治5年)8月 - 学制が頒布される。
- 正史
- 1874年(明治7年)5月[2] - 成章館(旧・藩校)跡に「第五大学区 第五中学区[3]富江小学校」が開校。初代校長に穎原季善が就任。
- 1876年(明治9年)- 旧陣屋内の旧藩邸に移転。
- 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
- 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「富江学区 公立中等富江小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)1月 - 旧・浜の町(富江309・314-124)大阪屋別邸に移転。女児を対象に裁縫科を設置。
- 1883年(明治16年)- 琴石・太田・狩立・繁敷・黒島・山下に分校を設置。
- 1884年(明治17年)- 狩立分校を廃止し、本校へ統合。
- 1885年(明治18年)- 「岐宿学区 公立中等富江小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令が施行され、尋常小学校になることが決定(改称は翌年)。福江村に長崎県第十八高等小学校が設置される。
- 1887年(明治20年)4月 - 前年の小学校令の施行により、「尋常富江小学校」に改称。
- 1899年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、富江村立の小学校となる。
- 1894年(明治26年)
- 1896年(明治29年)4月 - 組合立高等小学校の廃止に伴い、高等科を併置し「富江尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
- 1899年(明治32年)1月 - 現在地に校舎を新築し移転を完了。
- 1900年(明治33年)10月 - 成章館(旧藩校)跡を改築して分教場とし、女子部とする。
- 1904年(明治37年)4月 - 高等科の科目に農業科が加えられる。
- 1906年(明治39年)10月 - 男児校と女児校の2校に分離。本校を「富江尋常高等小学校」(男児校)・女子部分教場を「富江女児尋常高等小学校」とする。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 修業年限が尋常科4年・高等科4年から「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
- 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科2年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
- 1911年(明治44年)6月 - 富江実業補習学校を併設。
- 1918年(大正7年)4月 - 富江女児尋常高等小学校を統合。
- 1922年(大正11年)
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の富江実業補習学校が「富江町青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「富江町第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 田尾小学校から繁敷分校が移管される。
- 1944年(昭和19年)5月 - 校舎を改築。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)
- 3月 - 山崎分校を設置。
- 4月1日 - 「富江町立富江小学校」に改称。
- 1949年(昭和24年)3月 - 中学校の独立校舎(木造)が完成し、移転したために併設を解消。
- 1965年(昭和40年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。
- 1968年(昭和43年)4月 - 体育館が完成。
- 1970年(昭和45年)1月 - 校舎を増築。
- 1971年(昭和46年)- 土俵が完成。
- 1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。記念大運動会を実施。学校給食を開始。
- 1977年(昭和52年)- 運動場に夜間照明を設置。
- 1979年(昭和54年)- 鉄筋コンクリート造3階建ての西校舎を増築。
- 1983年(昭和58年)3月31日 - 繁敷分校を廃止(北緯32度39分8.6秒 東経128度44分29.4秒 / 北緯32.652389度 東経128.741500度)。
- 1984年(昭和59年)- 西玄関に築山が完成。
- 1987年(昭和62年)- 運動場に落葉処理場を設置。
- 1988年(昭和63年)- 国旗掲揚台を設置。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 富江町立長峰小学校を統合し、長峰分校とする。
- 1991年(平成3年)- 回旋塔・鶏舎を設置。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 山崎・岳・長峰の3分校を休校。
- 1994年(平成6年)- 校舎・中庭・土俵周辺を整備。
- 1995年(平成7年)- 2年生以上で英会話の授業を開始。
- 1996年(平成8年)- 校旗が寄贈される。
- 1997年(平成9年)- 少年の船が来校。
- 1998年(平成10年)3月31日 - 黒島分校を廃止(北緯32度36分12.6秒 東経128度49分57.3秒 / 北緯32.603500度 東経128.832583度)。
- 1999年(平成11年)- 運動場にジャングルジム・雲梯を設置。
- 2000年(平成12年)- 富江町立田尾小学校の2年生と交流を行う。田尾小学校を統合し田尾分校とし休校とする。
- 2001年(平成13年)- 運動場の石垣を積みなおす。
- 2002年(平成14年)- 体育館の大規模改修工事が完了。
- 2003年(平成15年)3月31日 - かねてより休校中であった山崎(北緯32度35分31.6秒 東経128度47分4.4秒 / 北緯32.592111度 東経128.784556度)・岳(北緯32度35分21.5秒 東経128度46分0.3秒 / 北緯32.589306度 東経128.766750度)・長峰(北緯32度36分33.8秒 東経128度41分39.6秒 / 北緯32.609389度 東経128.694333度)の3分校を廃止。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立富江小学校」(現校名)へ改称。
- 2011年(平成23年)3月31日 - かねてより休校中であった田尾分校(北緯32度38分30.9秒 東経128度45分49.8秒 / 北緯32.641917度 東経128.763833度)を廃止[4]。
著名な出身者
[編集]交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)富江町内循環線など「富江小学校前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 五島市立富江幼稚園・富江町武道館
- 五島市立富江中学校・五島市富江体育館・五島市民富江プール
- 五島市役所 富江支所(旧・富江町役場)
- 五島市消防本部富江出張所
- 長崎県警察五島警察署富江交番
- JAごとう富江支店
- 富江病院
- 旧長崎県立富江高等学校
参考資料
[編集]- 「富江町郷土誌」(2004年(平成16年)2月29日, 富江町教育委員会)p. 613 -