五和村 (静岡県)
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ごかむら 五和村 | |
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廃止日 | 1957年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 金谷町、五和村 → 金谷町 |
現在の自治体 | 島田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 榛原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 50.26 km2. |
総人口 |
7,778人 (国勢調査、1955年10月1日) |
隣接自治体 | 島田市、掛川市、榛原郡金谷町、川根町、小笠郡三笠村 |
五和村役場 | |
所在地 | 静岡県榛原郡五和村大字竹下 |
座標 | 北緯34度50分48秒 東経138度07分18秒 / 北緯34.84658度 東経138.12161度座標: 北緯34度50分48秒 東経138度07分18秒 / 北緯34.84658度 東経138.12161度 |
大井川流域の町村制施行時の町村。53が五和村。(52.金谷町) | |
ウィキプロジェクト |
五和村(ごかむら)は静岡県の中部、榛原郡に属していた村である。現在の島田市西部、大井川右岸側に存在していた。
地理
[編集]- 山:八高山、神尾山、経塚山
- 河川:大井川
歴史
[編集]村名の由来
[編集]大井川の天正の瀬替えの後、旧河道は相次いで開墾された[1][2]。この時にできた島村・番生寺村・竹下村・牛尾村・横岡新田は、志戸呂郷の地先にあったため、志戸呂五ヶ村と呼ばれた[1][3]。後に志戸呂村・横岡村を含めた地区の汎称地名として「五箇」が使われるようになったという[1][4]。
1878年(明治11年)には竹下村・横岡村・横岡新田・牛尾村・島村・番生寺村・志戸呂村の7村組合で竹下村に小学校校舎を新築し、名称を竹下学校から五和学校に改めた[5][6]。
1889年(明治22年)の11村の合併の際にも五箇に因む「五和」を村名とした[1][4]。
行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、竹下村、島村、志戸呂村、番生寺村、大代村、牛尾村、横岡村、横岡新田、福用村、高熊村、神尾村、牧ノ原[一部]が合併して五和村が発足する。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 金谷町との境界を変更する。金谷町大字金谷河原・金谷の一部を五和村に編入し、五和村大字志戸呂の一部を金谷町に編入した[7]。
- 1957年(昭和32年)10月1日 - 金谷町と五和村が合併し、改めて金谷町が発足する[8]。
教育
[編集]1947年の学校教育法施行直後の時点では、五和村立五和中学校と五和村立五和小学校を設置していた[9]。小学校は大代分校と北五和分校を置き、分校では1・2年、3・4年、5・6年の複式学級を編制していた[9]。
交通
[編集]鉄道
[編集]括弧内の駅は金谷町との合併以降の開業である。
脚注
[編集]- ^ a b c d 渡辺陸平 1924, p. 108.
- ^ 金谷町史編さん委員会 2004, p. 277.
- ^ 静岡郷土研究会 1928, pp. 53–54.
- ^ a b 金谷町史編さん委員会 2004, p. 656.
- ^ 渡辺陸平 1924, p. 239.
- ^ 金谷町史編さん委員会 2004, pp. 632–633.
- ^ 『静岡県市町村合併沿革誌』 1963, p. 383.
- ^ 『静岡県市町村合併沿革誌』 1964, p. 202.
- ^ a b 金谷町史編さん委員会 2004, pp. 791–792.