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五千石村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ごせんごくそん
五千石村
廃止日 1953年10月1日
廃止理由 編入合併
尚徳村五千石村 → 米子市
現在の自治体 米子市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,046
国勢調査、1950年)
隣接自治体 春日村大幡村幡郷村、尚徳村、成実村、米子市
五千石村役場
所在地 鳥取県西伯郡五千石村大字諏訪
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五千石村(ごせんごくそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の米子市の一部にあたる。

地理

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米子平野の東南部、日野川左岸の低平地に位置していた[2]

  • 河川:法勝寺川[3]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡諏訪村、八幡村、福市村が合併して村制施行し、五千石村が発足[1][2]。旧村名を継承した諏訪、八幡、福市の3大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1916年(大正5年)五千石郵便局開設[2]
  • 1922年(大正11年)五千石診療所開設[2]。1949年(昭和24年)個人経営に転換[2]
  • 1934年(昭和9年)電話開通[2]
  • 1953年(昭和28年)10月1日、米子市に編入され廃止[1][2]。編入後、米子市大字諏訪・八幡・福市となる[2]

地名の由来

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次の諸説あり[2]

  1. 五千石の米を産出することによる。
  2. 和名類聚抄』に記載の巨勢郷に由来。

産業

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教育

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  • 1888年(明治21年)八幡小学校が諏訪村に移転し、改築して諏訪尋常小学校に改称[3]。1894年(明治27年)校舎新築[3]。1901年(明治34年)高等科併置[3]。1905年(明治38年)五千石村・幡郷村の組合立諏訪尋常高等小学校を設立[3]。1916年(大正5年)両村学校組合を解き、五千石尋常高等小学校を新設[3]。1928年(昭和3年)大字八幡に新築移転[3]。1941年(昭和16年)五千石国民学校に改称[4]。1947年(昭和22年)五千石小学校に改称[4]。(現米子市立五千石小学校

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』321頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』340頁。
  3. ^ a b c d e f g 「諏訪〈米子市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』433頁。
  4. ^ a b 「八幡〈米子市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』804-805頁。

参考文献

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関連項目

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