五十嵐義三
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五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日[1])は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。
略歴
[編集]函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。その後、日本弁護士連合会副会長にも就任。
2000年5月23日、脳内出血のため死去[1]。
エピソード
[編集]- 父が幼い頃に亡くなったため、教育に関する法に関心を持ったという。
- ライカ製カメラを好み、アマチュアフォトグラファーでもあった。
- 北海学園大学では兼任講師として演習授業を担当し、中央大学法学部通信教育課程学生会では講師として憲法や行政法、札幌学院大学では教員として演習授業や教育法、行政法などを担当した。
主要論文
[編集]- 『教育裁判における教師の研修権--北海道・川上事件を中心に』(日本教育法学会年報 64 - 68号 1972年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)