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五十嵐信一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五十嵐 信一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都杉並区
生年月日 (1959-08-29) 1959年8月29日(65歳)
身長
体重
175 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手二塁手一塁手三塁手
プロ入り 1977年 ドラフト外
初出場 1980年5月28日
最終出場 1996年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 日本ハムファイターズ
    北海道日本ハムファイターズ (1997 - 2005 , 2010 - 2012)

五十嵐 信一(いがらし しんいち、1959年8月29日 - )は、東京都杉並区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。愛称はシンさんシン

来歴・人物

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日大二高では、入学間もなくより一貫して遊撃手の正選手として活躍。2年夏の西東京大会では決勝へ進出し、甲子園で優勝することになる桜美林高に敗れた。1977年の西東京大会も準決勝まで進むが明大中野高に敗退。

同年オフに、ドラフト外日本ハムファイターズに入団。二軍暮らしが長かったが、1979年4月には、「空白の一日」で入団した江川卓二軍で初登板した試合で江川に初本塁打を浴びせたことで有名になる。

1981年には二塁手として一軍に定着、菅野光夫鍵谷康司と定位置を争う。同年の日本シリーズでは第6戦途中出場して9回裏二死で江川にピッチャーフライに打ち取られ最後の打者となっている[1]。その後も内外野をこなすユーティリティープレイヤーとして起用されるが、内野は白井一幸古屋英夫田中幸雄が定着しており、1988年には本格的に外野手転向。主に右翼手として自己最多の103試合に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.242、7本塁打を記録した。パ・リーグ東西対抗では2番・右翼手としてスタメンで出場して敢闘賞を受賞した[2]

その後は準レギュラーとして起用されるが、1992年は主に5番打者、左翼手・右翼手として87試合に先発出場、打率.292を残す。年俸3,200万円(推定)で契約を更改している[3]。また、東京ドームMVPも受賞した。

体力・気力の衰えを感じ、1996年に現役を引退[4]。翌1997年二軍で打撃兼外野守備コーチとなり、2005年まで主に二軍打撃コーチ、2006年から2009年までスコアラーを務めた。2010年から二軍監督に就任し、2011年はチームを7年ぶりのイースタンリーグ優勝に導いた。2012年退任。2013年からは日本ハムの査定担当となる[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1980 日本ハム 17 13 12 4 1 0 0 0 1 0 1 1 1 0 0 0 0 2 1 .083 .083 .083 .167
1981 79 186 170 18 41 9 1 0 52 15 0 1 9 1 5 0 0 15 3 .241 .261 .306 .567
1982 81 189 165 24 41 7 0 5 63 22 3 4 10 0 12 0 2 14 1 .248 .307 .382 .689
1983 43 48 44 8 6 1 0 0 7 0 3 2 1 0 2 0 1 6 1 .136 .191 .159 .351
1984 70 170 144 23 34 8 1 6 62 16 2 2 17 0 8 0 1 27 6 .236 .281 .431 .712
1985 47 78 69 16 21 5 0 3 35 13 0 0 1 1 4 0 3 7 3 .304 .364 .507 .871
1986 60 109 102 11 23 3 2 3 39 12 1 2 2 0 5 0 0 16 2 .225 .262 .382 .644
1987 68 144 122 13 34 11 2 2 55 12 1 0 9 0 13 0 0 19 1 .279 .348 .451 .799
1988 103 371 322 41 78 15 0 7 114 28 6 2 19 1 28 1 1 38 10 .242 .304 .447 .751
1989 51 79 74 11 21 3 1 4 38 14 1 0 2 0 2 0 1 12 2 .284 .312 .514 .825
1990 69 133 119 12 28 6 1 1 39 13 0 0 6 1 7 0 0 16 4 .235 .276 .328 .603
1991 79 185 163 20 42 7 0 1 52 8 2 1 6 0 15 1 1 17 10 .258 .324 .319 .643
1992 103 335 301 20 88 15 3 2 115 37 0 3 12 3 19 1 0 52 7 .292 .331 .382 .713
1993 52 118 101 11 22 4 0 2 32 17 5 2 1 1 13 1 2 20 2 .218 .316 .317 .633
1994 80 241 216 13 62 9 0 1 74 20 6 6 11 2 10 1 2 30 8 .287 .322 .343 .664
1995 58 92 85 1 26 2 0 0 28 8 0 0 2 1 4 0 0 10 1 .306 .333 .329 .633
1996 9 10 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .100 .000 .100
通算:17年 1069 2501 2218 246 568 105 11 37 806 235 31 26 109 11 148 5 14 302 62 .256 .305 .363 .669

表彰

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記録

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初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1994年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(東京ドーム)、5番・左翼手として先発出場 ※史上322人目

背番号

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  • 51 (1978年 - 1981年)
  • 4 (1982年 - 1991年)
  • 15 (1992年 - 1996年)
  • 83 (1997年 - 2005年、2010年 - 2012年)

脚注

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  1. ^ NPB公式記録 1981年の日本シリーズ代6戦
  2. ^ 読売新聞、1988年11月21日付朝刊、P.18
  3. ^ 毎日新聞、1992年12月16日付朝刊、P.17
  4. ^ 読売新聞、1996年10月27日付朝刊、P.24
  5. ^ 現役中の最大の乱闘を紹介するよ〜!あの時は行くの遅くなって本間にすいません💦

関連項目

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外部リンク

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