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五井藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

五井藩(ごいはん)は、上総国市原郡五井(現在の千葉県市原市五井)を居所として、江戸時代後期に存在した。1781年、伊勢西条藩主の有馬家(1万石)が藩庁を五井に移すことで成立し、1842年に下野吹上藩に転出するまで5代約60年間存続した。

歴史

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五井藩の位置(千葉県内)
千葉
千葉
八幡
八幡
木更津
木更津
五井
五井
関連地図(千葉県)[注釈 1]

藩主有馬家(摂津有馬氏)は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主有馬豊氏の三男有馬頼次を祖とする。頼次の子孫は紀州徳川家に代々仕え、徳川吉宗の時に側近を務めた有馬氏倫が大名に取り立てられ、伊勢西条藩初代藩主となった。西条藩(南林崎藩とも称する)は、伊勢国・上総国・下野国にまたがって1万石を領する定府の大名であった。

天明元年(1781年)11月28日、西条藩第5代藩主有馬氏恕上総国市原郡五井に本拠を移し、有馬家は五井藩となった。有馬家は定府が解かれて参勤交代が命じられ、翌天明2年(1782年)2月には初めての藩主領国入りが行われている。しかし間もなく、氏恕は天明3年(1783年)、23歳で死去した。

氏恕の跡は末期養子有馬氏保越後長岡藩牧野忠寛の次男)が継いだが、寛政2年(1790年)に29歳で死去した。嗣子はなく、有馬久保(伊勢八田藩加納久周の次男)が娘婿として迎えられる形で跡を継いだ。久保以後は嫡男への家督相続が行われるが、幼少で短命の藩主が続く。

第5代藩主有馬氏郁の代、天保13年(1842年)4月17日、下野吹上藩に転封となったため、五井藩は廃藩となった。

現在、五井陣屋跡には、JR内房線小湊鉄道線五井駅が建てられている。

歴代藩主

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有馬家

譜代 1万石

  1. 有馬氏恕(うじよし) 従五位下 兵庫頭
  2. 有馬氏保(うじやす) 従五位下 備後守
  3. 有馬久保(ひさやす) 従五位下 備後守
  4. 有馬氏貞(うじさだ) 従五位下 兵庫頭
  5. 有馬氏郁(うじしげ) 従五位下 備後守

脚注

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注釈

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  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。

出典

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参考文献

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関連項目

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  • 松平家信 - 家康の関東入部後に五井の領主(5000石)であった人物。
  • 神尾守永 - 江戸時代初期に五井の領主であった人物。