二階堂行有
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承久2年(1220年) |
死没 | 正応5年6月5日(1292年6月27日) |
改名 | 行有→道証(法名) |
別名 | 出羽大夫判官 |
官位 | 尾張守、備中守 |
幕府 | 鎌倉幕府 引付衆 評定衆 |
主君 | 藤原頼経→頼嗣→宗尊親王 |
氏族 | 藤原南家乙麻呂流 二階堂氏 |
父母 | 父:二階堂行義 |
兄弟 | 男子、行有、 |
子 | 行藤、北条時章室、養子行俊[1] |
二階堂 行有(にかいどう ゆきあり)は、鎌倉時代前期から中期かけての武士。鎌倉幕府評定衆。
略歴
[編集]吾妻鏡の記述によれば、正嘉2年(1258年)までには検非違使となっていた。4代将軍・藤原頼経、5代将軍・藤原頼嗣、6代将軍・宗尊親王ら、京都から推戴された将軍に近習として仕え活躍し、鶴岡八幡宮の参詣、方違、放生会などに供奉人として参与した。頼嗣が将軍職を更迭され、京都へ帰還する際には路次奉行を勤めた。武芸にも堪能で、流鏑馬の射手や勝長寺院の寺門守護を担当した。
文永2年(1265年)に引付衆、文永7年(1270年)には評定衆に列せられる[2]。また、同年剃髪して道証と号した。文永9年(1272年)には安堵奉行に任命されている[3]。
脚注
[編集]出典
[編集]- 北条氏系譜人名辞典(新人物往来社)
- 鎌倉・室町人名辞典(新人物往来社)