二条為藤
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時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 建治元年(1275年) |
死没 | 元亨4年7月17日(1324年8月7日)[1] |
官位 | 正二位、中納言 |
氏族 | 御子左家 |
父母 | 父:二条為世、母:賀茂氏久女 |
兄弟 | 為道、為藤、為宗、為躬、為冬、為子(尊治親王(後の後醍醐天皇)妃)、昭訓門院春日局(西園寺実衡室)、室町院大納言局、娘(藤原兼信室) |
子 | 為明、為清、為忠 |
二条為世の次男。歌人として『続後拾遺和歌集』の選者となったが、完成前に死去した。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 弘安9年(1286年)1月5日 - 従五位下
- 正応2年(1289年)7月16日 - 侍従
- 正応3年(1290年)6月18日 - 従五位上
- 正応6年/永仁元年(1293年)
- 永仁2年(1294年)
- 7月2日 - 従四位下
- 12月24日 - 左近衛少将に再任
- 永仁6年(1298年)
- 11月14日 - 丹波介を兼ねる
- 11月19日 - 従四位上
- 永仁7年(1299年)4月12日 - 左近衛中将
- 正安2年(1300年)1月5日 - 正四位下
- 徳治2年(1307年)4月3日 - 右兵衛督、蔵人頭
- 延慶元年(1308年)
- 応長元年(1311年)3月30日 - 駿河権守を兼ねる
- 正和2年(1313年)8月7日 - 参議を辞任
- 文保元年(1317年)
- 文保2年(1318年)
- 3月22日 - 従二位
- 8月2日 - 侍従を兼ねる
- 元亨元年(1321年)1月5日 - 正二位
- 元亨4年(1324年)
- 月日不詳 - 中納言
- 7月17日 - 死去