二丈岩
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二丈岩(にじょういわ、にじょうがん)は、樺太の最南端西能登呂岬の南東の沖合約15キロの、宗谷海峡上にある岩礁。ロシア語名はカーメニ・オパースノスチ(Камень Опасностиカーミェニ・アパースナスチ)で「危険の岩」という意味。カーメニアパースナスチとも表記される。
概要
[編集]日本統治時代には、留多加郡能登呂村(豊原支庁管内)に所属していた。西能登呂岬の南8海里に存在していて、周辺は航路の難所で多くの船が座礁していた。
宗谷岬からの距離はわずか36kmで、北方領土を日本領として考えた場合、日本の領土から最も近い外国の土地である。(ただし千島列島全体を日本領と考えた場合、カムチャツカ半島のロパトカ岬までの12kmである)
また、1928年に建設された二丈岩灯台がある。なお樺太には日本統治時代の灯台がほかに6基現存している[1]。
歴史
[編集]- 1826年 - この頃の作と推定される高橋景保の蝦夷図には「ヤイヌイナモシリ」として記載されている[2]。
- 1909年 - 同年発行の『東亜輿地図』では「ヲパスノスチ岩」として記載されている[3]。
- 1928年 - 標灯が設置された。
- 1941年 - この近海でソ連の貨物船が座礁し、乗組員等が救助されている。
- 1943年10月11日 - この近海でアメリカ海軍の潜水艦ワフーが撃沈されている。
- 1945年8月 - 留萌沖で樺太からの引き揚げ船(小笠原丸、泰東丸、第二号新興丸)に対し無差別攻撃(雷撃及び砲撃)したソ連軍のL-19がこの近海で沈没している(三船殉難事件)。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太#領土問題を、現状についてはサハリン州を参照。