了徳院
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了徳院 | |
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所在地 | 大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目14-1 |
位置 | 北緯34度41分55.1秒 東経135度28分58.4秒 / 北緯34.698639度 東経135.482889度 |
山号 | 如意山 |
宗派 | 東寺真言宗 |
本尊 | 準胝観音・十一面観音(大聖歓喜天) |
中興年 | 元文4年(1739年) |
中興 | 宥意 |
正式名 | 如意山了徳院 |
別称 | 浦江聖天、福島聖天 |
札所等 |
摂津国八十八箇所第4番 大阪四不動北方霊場 |
公式サイト | 了徳院 |
法人番号 | 5120005001737 |
了徳院(りょうとくいん)は、大阪市福島区にある東寺真言宗の寺院。山号は如意山。本尊は準胝観音と十一面観音(大聖歓喜天)。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。
歴史
[編集]洪水のために記録が失われ、創建年は不明。元文元年(1736年)3月、高野山善寿院の宥意上人が入寺して再建を企て、元文4年(1739年)10月に竣功。
その後また衰えていたのを天保5年(1834年)僧某が堂宇を再建する[1]。
古来伏見宮の祈願所で、本堂に十一面観世音菩薩(大聖歓喜天)を安置する。この大聖歓喜天は浦江がまだ海岸だった折、漁師の網にかかって海中から出現したと伝えられる。
子宝、縁結びを願う信仰に支えられ、浦江聖天、福島聖天と呼ばれ親しまれた。当地はいくつかの水路が流れ込み、境内の水辺には杜若が群生し、花の時期には参拝客で溢れた[2]。
松尾芭蕉も門弟と訪れ、句を残している。
杜若語るも旅のひとつ哉
1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲によって山門と白髭稲荷大明神を除いて焼失[3]したが、戦後に復興した。
境内
[編集]- 本堂 - 十一面観世音菩薩(大聖歓喜天)を祀る。
- 准胝観音堂 - 准胝観音を祀る。
- 不動堂 - 不動明王を祀る。
- 地蔵堂
- 役行者石塔
- 白髭稲荷大明神
- 五重石塔
- 芭蕉杜若句碑 - 杜若語るも旅のひとつ哉 はせを
- 弁財天
- 鐘楼
- 保育所和光園
- 庫裏
- 山門 - 江戸時代の再建。丸角流建造の代表作で、子持ち龍の彫刻がある。
前後の札所
[編集]交通アクセス
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 大阪市役所 歴史の散歩道 浦江聖天