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久我通言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
久我通言
時代 戦国時代
生誕 長享元年(1487年
死没 天文12年(1543年)2月
別名 号:陽春院、道号:柏仲
官位 従一位右大臣
主君 後土御門天皇後柏原天皇後奈良天皇
氏族 久我家
父母 父:久我豊通
徳大寺実淳の娘
邦通西園寺実宣
養子:慶子晴通徳大寺公維
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久我 通言(こが みちのぶ)は、戦国時代公卿右大臣久我豊通の子。官位従一位・右大臣。久我家17代当主。道号は柏仲。

経歴

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長享3年(1489年)に叙爵して以降累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将を経て、文亀2年(1502年従三位となり公卿に列する。永正3年(1506年)に権中納言、永正11年(1514年)に権大納言、大永元年(1521年)に右近衛大将となる。大永3年(1523年)には内大臣に任じられる。大永4年(1524年)に右近衛大将を辞職し、享禄元年(1528年)に右大臣となる。天文4年(1535年)に従一位となるが、翌年に父豊通が没し、悲観して50歳で出家して朝廷を去った。

子・邦通が若くして薨去したあとには近衛家から晴通を養子として迎え、跡を継がせている。

系譜

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