丹陽・藍田の戦い
表示
丹陽・藍田の戦い | |
---|---|
戦争:丹陽・藍田の戦い | |
年月日:紀元前312年 | |
場所:丹陽(現:湖北省枝江市[1])・藍田(現:陝西省藍田県) | |
結果:秦軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
秦軍 | 楚軍 |
指導者・指揮官 | |
魏章 樗里疾[2] |
屈匄 逢侯丑 |
戦力 | |
- | - |
損害 | |
- | 死者80000人[3] |
丹陽・藍田の戦い(たんよう・らんでんのたたかい)は、中国の戦国時代に丹陽・藍田において起こった秦軍と楚軍の間の戦いである。
経緯
[編集]紀元前313年、秦の張儀が楚の懐王と面会し、秦が商於の地方600里を割譲することを条件に、楚に斉と断交するよう要請した。懐王はこの条件を受け入れ、斉との同盟を破棄した。しかし懐王が一将軍を派遣して土地を受け取りに行かせると、張儀は商於6里を割譲するのが条件だったと言い張った。懐王は秦を攻撃する軍を発した[4]。 紀元前312年春、魏章率いる秦軍と屈匄率いる楚軍が丹陽で戦い、秦軍は楚軍を撃破した。楚の武装した兵士80000人が斬られ、楚の大将軍屈匄や裨将軍逢侯丑ら70人あまりが捕らえられ、漢中郡が奪取された。懐王は激怒して、国中の兵を動員して再び秦を襲ったが、藍田で敗れた。韓と魏が楚の敗戦を聞いて、楚を攻撃し、鄧にまで達した。楚軍はこれを聞くと、兵を退いて帰還した[5]。