丹羽駅
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丹羽駅 | |
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にわ Niwa | |
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所在地 | 北海道瀬棚郡北檜山町字丹羽 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 瀬棚線 |
キロ程 | 37.4 km(国縫起点) |
電報略号 | ニハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1932年(昭和7年)11月1日 |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月16日 |
備考 | 瀬棚線廃線に伴い廃駅 |
丹羽駅(にわえき)は、北海道瀬棚郡北檜山町字丹羽(現・久遠郡せたな町)にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はニハ。事務管理コードは▲141607[1]。1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」の停車駅であった。
歴史
[編集]- 1932年(昭和7年)11月1日 - 鉄道省瀬棚線今金駅 - 瀬棚駅間開通(全通)に伴い開業(一般駅)[2][3]。
- 1979年(昭和54年)3月10日 - 貨物取扱い廃止[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[5]。
- 1987年(昭和62年)3月16日 - 瀬棚線の廃線に伴い廃止となる[4]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。当地には1892年(明治25年)に福島県会津若松から元会津藩士丹羽五郎(安土桃山時代の武将・丹羽長秀後裔)ら12戸が入植した[6]。地名は丹羽の功績を伝えるため命名された[3]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[7]。ホームは線路の北側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。かつては島式ホーム1面2線を有していた[8]。
日交観北海道に委託する職員配置駅で、駅舎は構内の北側(瀬棚方面に向かって右側)に位置しホームから少し離れた場所にあった[7]。花石駅とほぼ同型の建物であった。
利用状況
[編集]- 1981年度の1日乗降客数は734人[7]。
駅周辺
[編集]- 北海道道677号小倉山丹羽停車場線
- 丹羽郵便局
- 北海道檜山北高等学校
- 玉川公園 - 駅から北に約2km。会津白虎隊に因んだ碑が19基設置されている[7]。
- 後志利別川
- 函館バス「玉川公園前」停留所
駅跡
[編集]2000年(平成12年)時点で空き地となっているが、駅周辺の農業倉庫は残る[9]。2010年(平成22年)時点でも同様であった。また「37 1/2」のキロポストが残存していた[10]、2011年(平成23年)時点でも同様で、駅前商店が閉店して残っていた[8]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第423号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1748) .
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、25頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行。
- ^ 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II、P831。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 154. ISBN 4893637606. OCLC 40491505
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)65ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)78,80ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)78ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)163ページより。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- せたな町公式サイト 丹羽五郎の生涯 - せたな町による開拓者丹羽五郎の紹介。