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丹羽鉦電機硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丹羽鉦電機硬式野球部
チーム名(通称) 丹羽鉦電機
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1973年
廃部 1976年
チーム名の遍歴

  • 丹羽鉦電機 (1973 - 1976)
本拠地自治体

都市対抗野球大会
出場回数 なし
社会人野球日本選手権大会
出場回数 なし
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

丹羽鉦電機硬式野球部(にわしょうでんきこうしきやきゅうぶ)は、愛知県尾張旭市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1976年10月に解散した。

運営母体は、ファインセラミックス関連を扱う丹羽鉦電機

概要

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1973年8月、丹羽鉦電機が『丹羽鉦電機硬式野球部』として設立。選手全員が九州出身者で結成されるという異例のチームであった[1]。同県内で活動していた森藤技研から監督や複数の選手が移籍してスタートした。

1976年10月7日オイルショックによる不況による経営悪化に伴って10月5日付で解散し、解散後については選手の大半が福岡市周辺で再就職し、同じメンバーで新チームを立ち上げると発表された[1]

その後、解散当時の監督であった池田和隆の父が前年に福岡県糟屋郡志免町に設立したあけぼの通商に全員が雇用され、『あけぼの通商硬式野球部』を旗揚げした[2]

設立・沿革

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主な出身プロ野球選手

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脚注

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  1. ^ a b “丹羽鉦電機チームが解散”. 毎日新聞: p. 19. (1976年10月7日) 
  2. ^ 朝日新聞、2006年7月2日付朝刊、P.34

関連項目

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