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丹羽英二建築事務所

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株式会社丹羽英二建築事務所
E. NIWA ARCHITECTS & ENGINEERS
事務所(2017年10月)
事務所(2017年10月)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
460-0022
愛知県名古屋市中区金山2丁目8番4号
エスポア金山2階
北緯35度8分43.4秒 東経136度54分11.8秒 / 北緯35.145389度 東経136.903278度 / 35.145389; 136.903278座標: 北緯35度8分43.4秒 東経136度54分11.8秒 / 北緯35.145389度 東経136.903278度 / 35.145389; 136.903278
設立 1969年12月
業種 サービス業
法人番号 2180001017908 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役 丹羽英夫   
資本金 2,000万円
従業員数 29人
外部リンク http://www.niwa-ae.com/
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株式会社丹羽英二建築事務所(にわえいじけんちくじむしょ)は、愛知県名古屋市に本社を置く組織系建築設計事務所。1930年(昭和5年)1月創立。1969年(昭和44年)12月設立。創設者は丹羽英二。出身者には市川三千男などがいる。

歴史

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丹羽英二は1897年(明治30年)に名古屋市に生まれた[1]。愛知県明倫中学校(現在の愛知県立明和高等学校)を卒業し、武田五一が校長を務める名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)建築科では鈴木禎次教授らに師事した[1]。名古屋高等工業学校時代の同級生には、後に日本建築家協会会長を務める松田軍平がいた[1]

1919年(大正8年)に名古屋高等工業学校を卒業すると、静岡県技手や名古屋市技手を務めた後、志水建築業務店で設計に携わった[1]。1930年(昭和5年)、名古屋市熱田区に丹羽建築設計監督事務所を開設した[1]。戦前の丹羽建築設計監督事務所は、一宮市役所、大浜町役場、守山町役場、湯之島館大門百貨店料亭加茂免大同病院陶生病院などを設計した[1]。戦前の丹羽英二は名古屋高等工業学校の講師などを務めた[1]。1940年(昭和15年)には中国に上海出張所を開設したが、太平洋戦争の終結とともに上海出張所は閉鎖している[1]

戦後の丹羽英二は日本建築家協会東海支部長や名城大学の講師などを務め、1969年(昭和44年)には東京事務所を開設した[1]。1980年(昭和55年)には丹羽英二が82歳で死去した[1]

受賞

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主な作品

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戦前

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戦後

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 丹羽英二について”. 丹羽英二建築事務所. 2023年9月20日閲覧。
  2. ^ あいちのたてもの すまい編” (PDF). 愛知登文会 (2022年3月24日). 2023年7月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 作品 官公庁施設”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。
  4. ^ a b c 作品 事務所施設”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。
  5. ^ a b c d 作品 医療施設”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e 作品 教育施設”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 作品 文化施設”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。
  8. ^ 作品 宗教施設・その他”. 丹羽英二建築事務所. 2017年7月28日閲覧。

外部リンク

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