串間神社
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串間神社 | |
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所在地 | 宮崎県串間市大字串間1410番地 |
位置 | 北緯31度29分9.4秒 東経131度14分42秒 / 北緯31.485944度 東経131.24500度座標: 北緯31度29分9.4秒 東経131度14分42秒 / 北緯31.485944度 東経131.24500度 |
主祭神 | 彦火火出見尊 |
創建 | 不明 |
例祭 | 例祭11月13日、14日 |
地図 |
串間神社(くしまじんじゃ)は、宮崎県串間市に鎮座する神社。彦火火出見尊を主祭神とし、ほか12柱を配祀する。
概要
[編集]創建年代は不明。主祭神の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は山幸彦と呼ばれた。笠峡宮から狩り場として通った仮宮所を穂槵宮と称し、その宮跡をいつきまつったといわれる。串間市には現在も「狩集」という字名がある[1]。正平14年(1359年)に野辺盛房、その後応仁元年(1467年)から島津氏が再興している。元亀元年(1570年)には当時の宮司谷口栄が神道管領長の吉田兼見から神道裁許状を受け、高鍋藩の所領であった江戸期には藩主秋月氏により福島地方の総社として崇められていた[2]。明治5年(1872年)十三所大明神から串間神社に改称した[3][4]。
祭神
[編集]- 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
主祭神は彦火火出見尊(山幸彦)である[5]。 その他女躰大明神(豊玉姫神)、神花大明神、初熊大明神、泊柱大明神(猿田彦命、速秋都姫命)、勿躰大明神、聖大明神(点香兒山命)児之御前、歳大明神(倉稲魂命)、篠大明神、上津杖大明神、下津杖大明神、杖立大明神の十二柱の神々を祀る。このため串間神社の旧称は「十三所大明神」であった[6]。
文化財
[編集]串間市指定有形文化財
[編集]- 串間神社の古額
- 神楽面(10面)
串間市指定天然記念物
[編集]- 串間神社のクス
- 所在地は串間市北方下池(串間神社)。指定年月日は1978年(昭和53年)2月3日。指定当時は14本存在した。幹回り約6.3 m、高さ約18 m、樹齢約250年[9]。
境内
[編集]境内の面積は3,056坪。五穀豊穣と家内安全を祈る種子まき神事が行われている[10]。
祭事
[編集]以下の祭事が行われている[11]。
- 歳旦祭 - 1月1日
- 祈年祭(春祭) - 2月19日、2月20日
- 夏越大祓 - 6月30日
- 例祭 - 11月13日、11月14日
- 新嘗祭 - 11月23日
- 年越大祓 - 12月31日
- 月次祭 - 毎月1日
所在地
[編集]脚注
[編集]- ^ 「串間市史」串間市 平成8年
- ^ 「角川日本地名大辞典 宮崎県」角川書店 昭和61年
- ^ 宮崎県神社庁 『宮崎県神社誌』p294 昭和63年3月
- ^ “宮巡 〜神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト〜 - 串間神社(くしまじんじゃ)”. 宮崎県神道青年会. 2018年12月20日閲覧。
- ^ 「宮崎県神社誌」宮崎県神社庁 昭和63年9月
- ^ 松尾宇一「日向郷土事典」歴史図書社 昭和63年9月
- ^ 串間市教育委員会 『串間市の文化財』 平成4年3月 p33
- ^ 串間市教育委員会 『串間市の文化財』 平成4年3月 p30
- ^ a b 串間市教育委員会 『串間市の文化財』 平成4年3月 p38
- ^ 宮崎県神社庁 『宮崎県神社誌』 昭和63年9月 p295-p296
- ^ 「串間神社由緒書」串間神社社務所発行
- ^ 「宮崎県神社誌」宮崎県神社庁 昭和63年9月
- ^ 「祭礼行事・宮崎県」おうふう 平成10年2月
- ^ 「ふるさとまつり歳時記」宮崎県企画調整部地域振興課 平成元年3月
- ^ 『みやざき神社めぐり パワーいただきます!』鉱脈社、2011年
参考文献
[編集]- 田浦チサ子(著)『こころのふるさと 高鍋・木城・串間紀行 宮崎県』瞬報社写真印刷株式会社、2008年
- 高橋秀雄・山口保明(編)『祭礼行事 宮崎県』おうふう、1998年
- 松尾宇一(編著)『日向郷土事典』歴史図書社、1980年
- 『くしま史談会報』串間史談会、各号
- 『みやざき神社めぐり パワーいただきます!』鉱脈社、2011年
- 『宮崎県大百科事典』宮崎日日新聞社、1983年
関連項目
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、串間神社に関するカテゴリがあります。
外部リンク
[編集]- 串間神社 公式ホームページ
- 串間神社 串間市観光物産協会