中部利三郎
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中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年(明治34年)3月11日[1] - 1970年(昭和45年)3月6日[2])は、日本の実業家。大洋漁業副社長[1]。大洋漁業創業者中部幾次郎の三男。
人物
[編集]兵庫県明石市出身[1]。中部幾次郎の三男[3][4]。1924年、神戸高等商業学校を卒業[1]。中部農事[3]、林兼商店各監査役、大洋捕鯨取締役、林兼商店、林兼工業各常務、林兼造船副社長同社長を経て1951年、大洋漁業副社長[1]。1955年、林兼産業社長[1]。1963年、長崎放送社長[5]。1964年、藍綬褒章・紺綬褒章を受章[5]。
宗教は浄土宗[1]、仏教[3]。趣味はゴルフ[1]、将棋[3]。住所は山口県下関市上田中町[1]、同市竹崎町[3]、兵庫県明石市東魚町[4]。
家族・親族
[編集]- 中部家
- 妻・光子(1907年 - ?、広島市長・藤田若水の四女)[3][4][6]
- 長女・とみ子[1] - 夫はピアニストで国立音楽大学名誉教授の柳川守。[7]
- 長男・一次郎[1] - 林兼産業社長。妻の緑はヤマサ醤油社長浜口儀兵衛の孫[8]
- 二男[1]
- 三男・銀次郎[1](1942年 - 2001年、アマチュアゴルファー)
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』な594頁。
- ^ 『新聞研究』第226号(日本新聞協会、1970年5月)p.101
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第15版 下』ナ20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 下』ナ84 - 85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)な113頁
- ^ a b 『人事興信録 第13版 下』フ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
- ^ 柳川守脇田美術館
- ^ 中部磯次郎 明石から朝鮮へ片山俊夫、明石市、2019.6.29