コンテンツにスキップ

中部利三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年明治34年)3月11日[1] - 1970年昭和45年)3月6日[2])は、日本実業家大洋漁業副社長[1]。大洋漁業創業者中部幾次郎の三男。

人物

[編集]

兵庫県明石市出身[1]。中部幾次郎の三男[3][4]1924年神戸高等商業学校を卒業[1]。中部農事[3]、林兼商店各監査役、大洋捕鯨取締役、林兼商店、林兼工業各常務、林兼造船副社長同社長を経て1951年、大洋漁業副社長[1]1955年林兼産業社長[1]。1963年、長崎放送社長[5]。1964年、藍綬褒章紺綬褒章を受章[5]

宗教は浄土宗[1]仏教[3]。趣味はゴルフ[1]将棋[3]。住所は山口県下関市上田中町[1]、同市竹崎町[3]、兵庫県明石市東魚町[4]

家族・親族

[編集]
中部家
親戚

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』な594頁。
  2. ^ 『新聞研究』第226号(日本新聞協会、1970年5月)p.101
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第15版 下』ナ20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第12版 下』ナ84 - 85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  5. ^ a b 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)な113頁
  6. ^ a b 『人事興信録 第13版 下』フ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  7. ^ 柳川守脇田美術館
  8. ^ 中部磯次郎 明石から朝鮮へ片山俊夫、明石市、2019.6.29

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。