中谷雄太
中谷雄太 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都世田谷区 |
生年月日 | 1979年9月16日(45歳) |
身長 | 163.0cm(2020年) |
体重 | 50.0kg(〃) |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
美浦・高松邦男(1998.3.1 - 2005.10.9) 美浦・フリー(2005.10.10 - 2007.9.30) 美浦・加藤征弘(2007.10.1 - 2008.11.20) 美浦・フリー(2008.11.21 -2015.5.14) 栗東・フリー (2015.5.15 - 2020.5.24) |
初免許年 | 1998年 |
免許区分 | 平地・障害[1] |
騎手引退日 | 2020年5月24日 |
通算勝利 | 4465戦181勝(中央のみ) |
中谷 雄太(なかたに ゆうた、1979年9月16日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手。
来歴
[編集]子供の頃はプロ野球選手になりたかったが、10歳離れた兄と一緒にテレビで競馬を観るようになり、自分の小さい体を生かせると思い騎手を目指した[2]。競馬学校14期生で同期には池添謙一、酒井学、太宰啓介、白浜雄造らがいる。1998年に美浦・高松邦男厩舎所属騎手としてデビュー。デビュー当時、目標とする騎手として的場均の名を挙げている[3]。
見習い騎手期間の3年間で平地25勝・障害1勝の26勝を記録。その後減量がなくなり騎乗数・勝利数が低迷し年間未勝利に終わるシーズンもあり、引退を考えた時期もあったが[2]、加藤征弘・萩原清厩舎などで厩務に従事するようになり、2009年のダービー馬となったロジユニヴァースの調教をつけるなど関係者の信頼を得て、徐々に乗り鞍を増やした。
2010年6月26日、福島競馬2R3歳未勝利戦で16頭中最下位人気のヴィヴィアンに騎乗し3着となり、JRA複勝配当史上最高額(当時)の16,110円を記録した[4][5][注 1]。
2010年11月7日にはアルゼンチン共和国杯で、初騎乗のコスモヘレノスで3着と結果を出し、自身初の重賞での入着を果たす。翌2011年には同馬にて天皇賞(春)に騎乗。これがデビュー14年目にして初のGI騎乗となった。
2013年11月末頃より「騎乗馬を増やしたい・関西馬にも乗りたい」との思いで栗東に拠点を移し矢作芳人厩舎の馬を中心に徐々に関西での騎乗が増え始める。2014年にはJRA通算100勝を達成[6]、その後も美浦所属のまま活動を続けていたが2015年5月15日付けで栗東に所属変更となった[7]。以降、騎乗数・勝利数が増え、2016年には自身最多の25勝を挙げ、年末にはムスカテールとのコンビで有馬記念初騎乗を果たした。
中谷は2017年のインタビューで「矢作厩舎を手伝わせてもらうようになって、これまでこんなに仕事に熱中したことはなかったことに気づきました。とにかく仕事が楽しい」と語り、矢作は中谷について「腕はあるのに乗せてもらえなかったのは、本人に問題があったはず。ただ、環境を変えることで人間も変わることがあると俺は思うから」と語っている[8]。
2018年4月8日、福島5Rで騎乗したルートロアーがゴール手前で転倒したため落馬し、第1・第2頸椎骨折および胸椎骨折の重傷を負った。病院へ搬送される際は意識がなく危険な状態だったが、同行した矢作調教師が必死に声をかけ続け意識を取り戻したという[9]。約8か月のリハビリを経て12月1日に復帰した。
2020年5月、現役引退を表明。引退に当たり「40歳くらいで騎手を辞め、違う世界にチャレンジしようと決めていた。2年前の落馬事故の影響で結果を出せなかったのも事実」「まだまだ乗れますが後悔は全くない」とコメント[10]、同月24日の新潟8R13着がラストランとなった。
JRA通算成績は4465戦181勝(うち障害10戦1勝)。重賞は81回騎乗したが、2017年の函館スプリントステークス(キングハート)、2019年の阪神大賞典(カフジプリンス)、福島記念(ステイフーリッシュ)での2着が最高で、重賞制覇は果たせなかった。
騎乗成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平 地 |
初騎乗 | 1998年3月2日 | 2回中山2日12R | 5歳上500万下 | チャプター | 15頭 | 8 | 9着 |
初勝利 | 1998年4月5日 | 2回中京4日7R | 5歳上500万下 | アップザナイブ | 13頭 | 1 | 1着 | |
重賞初騎乗 | 1999年2月21日 | 1回東京8日11R | クイーンカップ | ハセノスパーク | 16頭 | 14 | 12着 | |
GI初騎乗 | 2011年5月1日 | 3回京都4日11R | 天皇賞(春) | コスモヘレノス | 18頭 | 13 | 14着 | |
障 害 |
初騎乗 | 1998年3月7日 | 2回中山3日5R | 障害未勝利 | カツノスマイル | 12頭 | 8 | 6着 |
初勝利 | 1998年8月23日 | 3回新潟4日5R | 障害未勝利 | ビクトリーアップ | 7頭 | 6 | 1着 | |
重賞初騎乗 | 2003年3月15日 | 1回阪神5日10R | 阪神スプリングジャンプ | インタープレジャー | 14頭 | 14 | 8着 |
年度 | 平地競走 | 障害競走 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | |
1998年 | 3 | 5 | 2 | 83 | .036 | .096 | .120 | 1 | 1 | 0 | 8 | .125 | .250 | .250 |
1999年 | 10 | 13 | 10 | 245 | .041 | .094 | .135 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 |
2000年 | 12 | 25 | 15 | 355 | .034 | .104 | .146 | - | ||||||
2001年 | 3 | 5 | 4 | 151 | .020 | .053 | .079 | - | ||||||
2002年 | 4 | 7 | 12 | 178 | .022 | .062 | .129 | - | ||||||
2003年 | 11 | 6 | 7 | 216 | .051 | .079 | .111 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 |
2004年 | 3 | 6 | 5 | 154 | .019 | .058 | .091 | - | ||||||
2005年 | 1 | 0 | 1 | 40 | .025 | .025 | .050 | - | ||||||
2006年 | 4 | 5 | 3 | 113 | .035 | .080 | .106 | - | ||||||
2007年 | 0 | 0 | 3 | 64 | .000 | .000 | .047 | - | ||||||
2008年 | 4 | 2 | 3 | 56 | .071 | .107 | .161 | - | ||||||
2009年 | 1 | 4 | 3 | 112 | .009 | .045 | .071 | - | ||||||
2010年 | 6 | 10 | 14 | 227 | .026 | .070 | .132 | - | ||||||
2011年 | 12 | 9 | 5 | 244 | .049 | .086 | .107 | - | ||||||
2012年 | 5 | 8 | 11 | 317 | .016 | .041 | .076 | - | ||||||
2013年 | 4 | 4 | 6 | 142 | .028 | .056 | .099 | - | ||||||
2014年 | 8 | 2 | 8 | 151 | .053 | .066 | .119 | - | ||||||
2015年 | 16 | 21 | 22 | 263 | .061 | .141 | .224 | - | ||||||
2016年 | 25 | 30 | 31 | 400 | .063 | .138 | .215 | - | ||||||
2017年 | 19 | 24 | 18 | 384 | .049 | .112 | .159 | - | ||||||
2018年 | 11 | 9 | 10 | 164 | .067 | .122 | .183 | - | ||||||
2019年 | 15 | 15 | 25 | 292 | .051 | .103 | .188 | - | ||||||
2020年 | 3 | 4 | 5 | 104 | .029 | .067 | .115 | - | ||||||
中央 | 180 | 214 | 223 | 4455 | .040 | .088 | .138 | 1 | 1 | 0 | 10 | .100 | .200 | .200 |
地方 | 5 | 7 | 7 | 94 | .053 | .128 | .202 |
おもな騎乗馬
[編集]- ビクトリーアップ(1998年障害4歳上未勝利戦)
- ザッハーマイン(2010年富嶽賞)
- コスモヘレノス(2010年アルゼンチン共和国杯3着)
- コスモオオゾラ(新馬戦から4戦目の葉牡丹賞まで)
- ネコパンチ(引退レースとなった福島記念で騎乗し最下位)
- ニシケンモノノフ(2015年ポラリスステークス)
- シャドウアプローチ(2015年朝日杯フューチュリティステークス3着)
- リスグラシュー (新馬戦、未勝利戦で騎乗)
- ステイフーリッシュ (2017年ホープフルステークス3着、2019年福島記念2着)
- カフジプリンス(2019年阪神大賞典2着)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “JRA騎手名鑑/中谷雄太”. JRA. 2020年8月27日閲覧。
- ^ a b “中谷雄太騎手(1)『美浦から栗東へ 騎手人生をかけた大勝負』”. net keiba com (2015年11月2日). 2020年8月27日閲覧。
- ^ 別冊宝島騎手名鑑98 ISBN 4-7966-9383-1
- ^ “2010年6月26日 2回福島3日目 サラ系3歳未勝利”. net keiba com. 2020年8月27日閲覧。
- ^ “払戻金ランキング(複勝)”. JRA. 2020年8月27日閲覧。
- ^ “中谷雄太騎手、JRA通算100勝達成”. ラジオNIKKEI (2015年7月25日). 2020年8月27日閲覧。
- ^ “中谷雄太騎手、栗東へ所属変更”. netkeiba.com. 2015年6月9日閲覧。
- ^ 【矢作厩舎の厩舎力(2)】師弟対談 矢作調教師×坂井騎手×中谷騎手(後編)『厩舎や騎手が目指す究極の到達点』
- ^ 中谷雄太騎手が調教復帰「12月の1週目でのレース復帰を目標に」
- ^ “中谷雄太騎手が今週限りで電撃引退「違う世界に」”. nnikkansports com (2020年5月22日). 2020年8月28日閲覧。
- ^ “中谷雄太 重賞出走レース”. netkeiba. 2020年8月27日閲覧。