中村貫之
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中村貫之 なかむら かんし | |
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生年月日 | 1888年10月17日 |
没年月日 | 1983年12月31日(95歳没) |
出身校 |
東京帝国大学法科大学経済学科 (現東京大学経済学部) |
前職 | 横浜正金銀行(現三菱UFJ銀行)本店支配人 |
所属政党 | 公正会 |
配偶者 |
中村八重子 中村章 |
親族 |
父・中村雄次郎(貴族院議員) 義父・阪谷芳郎(大蔵大臣) 義父・若宮貞夫(衆議院議員) 孫婿・橋本龍太郎(内閣総理大臣) 曾孫・橋本岳(衆議院議員) |
在任期間 | 1946年5月11日 - 1947年5月2日 |
中村 貫之(なかむら かんし、1888年(明治21年)10月17日[1] - 1983年(昭和58年)12月31日[1][2])は、大正から昭和期の銀行家、華族。男爵、貴族院議員。孫の橋本久美子は第82・83代内閣総理大臣橋本龍太郎の妻[1]。政治家の橋本岳は曾孫。
経歴
[編集]陸軍軍人・中村雄次郎の二男として生まれる[3]。学習院中等科から高等科で里見弴と親しく、共に回覧雑誌『麦』を刊行、『白樺』同人であった[要出典]。1914年(大正3年)東京帝国大学法科大学経済学科を卒業[3]。父の死去に伴い1928年(昭和3年)11月1日、家督を相続し男爵を襲爵した[1]。
1914年(大正3年)、横浜正金銀行に入行する[2][3]。カルカッタ支店副支配人[4]、カラチ出張所副主任を経て蘭貢支店支配人、東京支店副支配人、ラングーン支店支配人、シアトル支店支配人、本店支配人などを歴任[2][3]。清水産業社長も務めた[2]。
1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員に補欠選挙で当選し[5][6]、公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。1983年(昭和58年)死去、享年95。
家族・親族
[編集]- 父:雄次郎(陸軍軍人)
- 母:九仁(岡山県、原田豊吉養子)[1]
- 弟:基一(官僚、妻・章は若宮貞夫三女)[1]
- 妻:八重子(男爵阪谷芳郎三女、妻・八重子が亡くなった後に義妹・章(若宮貞夫三女)と再婚)[1]
- 長女:妙子(久次の妻)[1]
- 婿養子:久次(実業家、子爵加納久朗二男)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 中村雄次郎 |
男爵 中村(雄次郎)家第2代 1928年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |