中村治兵衛 (貴族院議員)
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中村 治兵衛(なかむら じへえ、1851年7月9日(嘉永4年6月11日[1][2])- 1927年(昭和2年)2月26日[2][3][注 1])は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。旧姓は長岡[3]。
経歴
[編集]盛岡出身[3]。長岡半兵衛の六男として生まれ、21歳の時、糸屋中村家の治郎兵衛の養子となり、呉服太物商を継ぐ[1][3]。1889年(明治22年)盛岡市会議員に当選[4][3]。1897年(明治30年)盛岡銀行取締役、1904年(明治37年)盛岡電気取締役、1908年(明治41年)岩手県農工銀行取締役を歴任[3]。ほか、盛岡織物商組合長などを務めた[4]。1911年(明治44年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1916年(大正5年)9月25日[6]まで在任した[4]。盛岡天満宮の修復に当たった[3]。
家族・親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度七十年史 第1』205頁では昭和32年11月2日没。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 竹内理三ほか 編纂『岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典3、角川書店、1998年。ISBN 4040020308。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。