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中村房次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 房次郎(なかむら ふさじろう、旧姓・増田1870年10月31日明治3年10月7日[1] - 1944年昭和19年)9月24日[2])は、日本商人貿易商)[3]資産家[3]実業家松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長[4]日本カーボン会長[2]。族籍は神奈川県平民[1][5]。俳優中村俊一や日本近世演劇研究者の松崎仁

人物

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神奈川県人・増田嘉兵衛の二男[1][6]増田増蔵の弟[1][6]増田増太郎の叔父[6]。横浜本町生まれ[7]横浜商法学校に入学[8]

中村初太郎の養子となり1883年家督を相続する[4][6]。横浜商法学校にあしかけ3年ほど在籍し、中退する[8]。増田屋商店に入る[5]。実兄と共に棉花砂糖石油麦粉などの販売に奮闘する[7]1914年、岩手県に松尾鉱業を創立[2]

増田合名会社代表社員[1]増田製粉所[1]松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長、日本カーボン会長、横浜商工会議所副会頭、横浜興信銀行副頭取[6]、横浜火災海上保険、日本金属工業、日清生命保険各取締役日本アルミニウム日本カーボン日本化学工業、満州化学工業各監査役、三明商店相談役[9]、日本工業倶楽部[9]、横浜取引所、日本経済連盟会各理事などをつとめた[4][6]。神奈川県在籍で、住所は横浜老松町[1][4][6]。墓所は横浜市日野公園墓地。

顧問弁護士が、飛鳥田喜一(飛鳥田一雄の父)であり、自ら影響力を有する立憲民政党から飛鳥田が横浜市会議員になることを勧めた。経営する松尾鉱山落盤事故の弁護団に飛鳥田喜一の他に息子の飛鳥田一雄、片山哲も加わっていた[10]

家族・親族

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中村家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』な39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c 中村 房次郎とはコトバンク。2020年2月1日閲覧。
  3. ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ナ105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
  5. ^ a b 『人事興信録 第5版』な53 - 54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月25日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第12版 下』ナ114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
  7. ^ a b 『大正人名辞典』2079頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
  8. ^ a b c d 中村房次郎と松尾鉱山43 - 90頁、信夫隆司、岩手県立大学総合政策学部、総合政策3巻1号、2001。
  9. ^ a b 『日本紳士録 第46版』神奈川ナの部41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月3日閲覧。
  10. ^ 飛鳥田一雄「生々流転 飛鳥田一雄回顧録」p26(朝日新聞社)
  11. ^ 茂木家閨閥学
  12. ^ a b 『人事興信録 第11版 上』ア6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月28日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。