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中塚古墳 (桐生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中塚古墳

墳丘・石室開口部
別名 新里村8号墳
所在地 群馬県桐生市新里町新川2593
位置 北緯36度25分24.30秒 東経139度14分39.22秒 / 北緯36.4234167度 東経139.2442278度 / 36.4234167; 139.2442278座標: 北緯36度25分24.30秒 東経139度14分39.22秒 / 北緯36.4234167度 東経139.2442278度 / 36.4234167; 139.2442278
形状 方墳
規模 一辺37m
埋葬施設 両袖式横穴式石室(截石切組積み)
築造時期 7世紀後半
被葬者 (一説)新川臣一族
史跡 群馬県指定史跡「中塚古墳」
地図
中塚古墳の位置(群馬県内)
中塚古墳
中塚古墳
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中塚古墳(なかつかこふん)は、群馬県桐生市新里町新川にある古墳。形状は方墳。群馬県指定史跡に指定されている。

概要

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群馬県東部、赤城山南東麓の丘陵上に築造された大型方墳である。

墳形は方形で、一辺約37メートルを測る[1]。墳丘外表では葺石が認められるほか、墳丘周囲には周濠が巡らされる。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室として注目される。古くから開口したとみられ、石室内の副葬品は詳らかでない[2]

築造時期は、古墳時代終末期7世紀後半頃と推定される。被葬者は明らかでないが、地名から山ノ上碑高崎市山名町、国の特別史跡)に見える「新川臣」の一族に比定する説が知られる[2][1]

古墳域は1979年昭和54年)に群馬県指定史跡に指定されている。

埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:7.67メートル
  • 玄室:長さ4.16-4.28メートル、幅1.84メートル(奥壁)、高さ1.74メートル
  • 羨道:長さ3.10-3.14メートル、幅1.31メートル

石室の石材は安山岩で、截石切組積みによって構築される。玄室と羨道の間は玄門で区切る。

文化財

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群馬県指定文化財

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  • 史跡
    • 中塚古墳 - 1979年(昭和54年)10月2日指定[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d 中塚古墳(桐生市ホームページ)。
  2. ^ a b c 史跡説明板。

参考文献

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  • 史跡説明板(群馬県教育委員会・桐生市教育委員会、2017年設置)
  • 「中塚古墳」『群馬県の地名』平凡社日本歴史地名大系10〉、1987年。ISBN 4582490107 
  • 小島純一「中塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連項目

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外部リンク

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