中南米諸国とレース
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中南米諸国とレース(ちゅなんべいしょこくとレース)では、中南米諸国におけるレースの歴史について述べる。
中南米諸国では、16世紀末のスペインによる征服後に、イエズス会等の宣教師たちの到着により、レース文化が紹介されたと考えられている。しかし、大規模に生産されることはなく、ヨーロッパから逆に輸入していた[1]。
ブラジルではポルトガルの植民地になったとき、ポルトガル人によりレース作りが教えられたが、長期間未発達に終わった[2]。バイア地方では、現在でもクリュニーレースやトーションレースが生産されている[1]。
パラグアイではレースが発達し「パラグアイ」と名づけられた特殊なレースが評判となった。これは、中心部の周りに放射線状にモチーフを配置した、丸い枠で作るニードルレースである。これはスペインでも作られていた。現在でも、アゾレス諸島で作られている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c アン・クラーツ 1989, p. 184.
- ^ M. リスラン=ステーネブルゲン 1981, p. 148.
参考文献
[編集]- M. リスラン=ステーネブルゲン 著、田中梓 訳『ヨーロッパのレース : ブリュッセル王立美術館』学習研究社、1981年。ISBN 4050047764。
- アン・クラーツ 著、深井晃子 訳『レース 歴史とデザイン』平凡社、1989年。ISBN 4582620132。