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世明寿寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世明寿寺
所在地 埼玉県東松山市正代755-1
位置 北緯36度00分03秒 東経139度24分54秒 / 北緯36.00086度 東経139.41492度 / 36.00086; 139.41492座標: 北緯36度00分03秒 東経139度24分54秒 / 北緯36.00086度 東経139.41492度 / 36.00086; 139.41492
山号 東崎山[1]
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来[1]
開山 一峯[1]
法人番号 2030005011426 ウィキデータを編集
世明寿寺の位置(埼玉県内)
世明寿寺
世明寿寺
世明寿寺 (埼玉県)
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世明寿寺(せみょうじゅじ)とは埼玉県東松山市正代にある曹洞宗の寺院である。山名は東崎山。比企西国三十三札所十七番となる。開山は1653(承応2)年で本尊は釈迦如来であるが、それ以前の南北朝期から千手観音堂が存在しており民衆の間で信仰されていた[2]観音堂には二十八部衆及び千手観音がある。

なお、世明寿寺の二十八部衆像は二十八部衆像及び風神像、雷神像の中に弥勒菩薩像があることでも特筆に値する[3]。世明寿寺の二十八部衆像は二十八部衆像及び風神像、雷神像、千手観音像すべて1体も欠けてないので[4]、弥勒菩薩像を含めると合計32体となる。

世明寿寺の阿修羅像について

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三面四臂で一切の装飾品を持たず、板金剛すら履いていない。

日月は掲げていないが右(写真で見ると左)の腕が途中から欠けており、当初から日月を掲げていないかどうかまでは判断できない。また正面の顔は強い敵に相対した時の喜びを現すかのごとくにやけた笑みを見せ[5]、右(写真で見ると左)の顔は敵と戦っている最中の如き顔つき[6]、左(写真で見ると右)の顔つきは倒した敵を見下ろすかのごとき表情の顔である[7]

この阿修羅像は興福寺の阿修羅像と同様正面→右→左という形で顔を見る事によってストーリーが出来上がっていることになる[8]

文化財

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  • 千手観音(市指定文化財)
  • 二十八部衆及び風神及び雷神及び弥勒菩薩(市指定文化財)
  • 算額(市指定文化財)

交通アクセス

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  • 東武東上線高坂駅東口から徒歩21分程度
  • 川越観光バス:[高03]高坂駅東口 - ピオニウォーク東松山バス停下車(モール西側入口前)徒歩12分程度

周辺施設

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脚注

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 正代村.
  2. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年、pp3-4.より。
  3. ^ 東松山市市史編さん課編「仏像 東松山市仏像調査報告」東松山市、1985年、p.68より。
  4. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年、p.5.より。
  5. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年p2.写真および説明文より。
  6. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年p1.写真およびp2.説明文より。
  7. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年p2.説明文より。ただし、筆者はp3にて「読者の皆様はこの阿修羅像を見てどのような感想を抱いたであろうか。筆者の推測であるが阿修羅像の感じ方は十人十色のはずであり様々な解釈が可能である。このため右の顔の写真はわざと写真を掲載していない」と記述している通り、必ずしも全員がそのように見えるわけではないという点に留意する必要がある。また写真の右であれば仏像側から見たら左側ということになる。
  8. ^ 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年pp2-3.より。

参考文献

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  • 世明寿寺案内紙(B5判緑色付両面印刷1枚)
  • 鯨岡真一「埼玉・世明寿寺の阿修羅像に関する考察」『埼玉史談』62(3)2016年
  • 東松山市市史編さん課編「仏像 東松山市仏像調査報告」東松山市、1985年
  • 「正代村 世明壽寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ190比企郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764006/19