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上田藤兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上田 藤兵衞(うえだ とうべえ、1945年昭和20年)6月21日 - )は、日本の部落解放運動家。自由同和会京都府本部会長[1][2]、自由同和会中央本部副会長[3]京都で「同和のドン」として知られる[4]

来歴

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京都山科の「夙(しゅく)」という被差別部落非嫡出子として生まれる[注 1]小学校5年生の時、家業の材木商「若藤」が倒産。没落した上田一家は遊廓街「五条楽園」の四畳半一間に移り住んだ[1]

村井秀明(部落解放同盟全日本同和会の京都府辰巳支部を設立)の勧めで部落解放運動の世界に入り、京都市山科区川田地区に依拠して部落民宣言をおこなう。

全日本同和会京都府連合会青年支部長を経て、1984年、参議院議員自由民主党地域改善対策特別委員会理事長の堀内俊夫と知り合う。1986年、全国自由同和会の結成に参加。1990年、初代府連会長木曽利廣の後を継いで全国自由同和会副会長・同京都府連会長に就任。同和問題の現状を考える連絡会議(同現連)幹事。自由民主党京都府連合会党員・党友。同和会支部長、同府連総務委員。

関連書籍

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脚注

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注釈

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  1. ^ 映画史家の伊藤彰彦によると、「夙とは警察権や自治権も認められた特権的な部落民で、天皇陵の御陵番である『守戸(しゅこ)』が語源であり、墓守、葬送酒造興行などに従事した。皮革などを扱う皮田穢多とはまったく異なる」という[1]

出典

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  1. ^ a b c 京都最大の被差別部落、最後の光景を描いたベストセラー『同和のドン』の最も悲痛な箇所とは《伊藤彰彦寄稿》”. 現代ビジネス (2023年4月8日). 2024年12月7日閲覧。
  2. ^ ◆自由同和会京都府本部役員名簿◆”. 自由同和会京都府本部. 2023年2月26日閲覧。
  3. ^ 自由同和会中央本部役員名簿(令和 4 年・5・6 年度)” (PDF). 自由同和会中央本部 (2023年1月). 2023年2月26日閲覧。
  4. ^ 『週刊ポスト』2010年12月24日号「山口組と同和運動と自民党──私の30年史をお話しする」