上田荘 (信濃国)
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上田荘(うえだのしょう)は、信濃国小県郡(現在の長野県上田市)にあった荘園。現在の神科台地一帯にあたる。
歴史
[編集]承久年間のころ、大江佐房の所領となり、子の佐泰・長広らが上田氏を名乗るが、霜月騒動で没落し、北条氏の所領となる。嘉暦4年(1328年)の「諏訪大社造営目録案」にも見え(『諏訪大社上社文書』)、北条泰家から足利氏の所領となった[1]。室町時代の文安6年(1449年)には、三善氏流太田氏が地頭となっている(「諏訪御符礼之古書」)。
文明年間の頃に海野氏が進出、戦国時代以降は武田氏の支配地となり、荘園は解体され、国衆領の一つである「海野領」の一部として纏められた[2]。複数回にわたって諏訪大社上社の神役を勤仕し、天正7年(1579年)の造営清書帳では「海野之内上田郷」と記されている。